就職できなかったフリーランスライターの日常(13)

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就職できなかったフリーランスライターの日常(13)
別れと出会い

4月5日、ヒトリエのwowakaさんが亡くなった。わたしは飼い犬を2頭亡くしたばかりで、松原 裕さんの訃報もあったりとで、ダメージはかなり大きかった。このコラムはタイトルのとおり「就職できなかったフリーランスライターの日常」を書いているので、立派な追悼批評文ではなく、沖 さやこというライターとして働いているいち人間の視点でwowakaさんのことについて、wowakaさんの死から感じたことを書き綴ろうと思う。

ヒトリエとはメジャーデビューから『DEEPER』までインタビューの機会をいただいていた。都合が合わずインタビューが受けられなかったタイミングを境に取材の機会がなくて、だけど自分が成長して、またいつかインタヴューやライヴレポートが書けたらいいな、またお仕事をさせてもらえたらな、と強く願っていた。それは数多くあるこの仕事を辞められない理由のひとつでもあった。

専門学校生時代から卒業した1年目あたりのわたしはニコニコ動画入り浸りの日々で、そこで東方アレンジやVOCALOIDと出会った。wowakaさんの曲はそこはかとなく和の匂いのあるメロディとひりついたギターの音色が魅力的で、これが本当のバンドだったらどんなサウンドになるんだろうか、とぼんやり思っていた。

ライター活動をするようになってから、少しずつニコニコ動画を見る時間は減っていった。そんな時、お世話になっていたレーベルの方が「沖さんヒトリエ知ってますか? かっこいいですよ!」と教えてくれた。ちょうど『ルームシック・ガールズエスケープ』が同人リリースされたタイミングだった。


Spotify:ヒトリエ『ルームシック・ガールズエスケープ』

言われてすぐ音源を聴いてみたら、数年前に思い描いていた「wowakaさんの曲×まじもんのバンドサウンド」が現実のものになっていた。みんなで楽しむためのツールのようになっていた日本のロックに飽き飽きしていたわたしは、その攻撃的な音楽性、衝動的な音圧、繊細な言葉とメロディに瞬間ノックアウトされた。それからすぐに連載コラムでヒトリエに関する話題を書いた。その結果お仕事をさせていただく機会をいただいた。

wowakaさんと最後に話したのは、去年の大晦日のCDJのバックステージだった。軽く談笑し、ライブを観ることを告げると、彼は「ライブも最近いい感じなんで」と言った。その日のヒトリエのライヴで、音と言葉の隅々まで血が通った最新曲の【ポラリス】が、本当に美しかったことをよく覚えている。

「また仕事がしたい」というわたしの身勝手な夢なんかどうでもいいから、とにかく生きていてほしかった。逝去の報から1ヶ月経った現在は、あれだけ取材をさせてもらえたことの喜びを噛み締めている。アーティストに貴重な時間をいただいて、一対一で話すなんて本当に本当に贅沢なことだ。わたしはwowakaさんの31年の人生の計6~7時間をいただいている。その数時間は、彼にとって有意義な時間だっただろうか。

「人はいつどうなるかわからない」と誰かは言う。確かにそうかもしれない。だけどわたしはこれからも終わりのことを考えて生きるのではなく、「また」を信じたいし願いたい。wowakaさんはどんな時でも「また会いましょう」と言っていた。推測でしかないが、最期までそういう気持ちだったんじゃないか、と思う。

令和という新時代が始まった。別れの悲しみよりも出会えた事実や喜びを大切にしたい。もしそれが一期一会であったとしても。

就職できなかったフリーランスライターの日常 過去ログ

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