長距離移動するフリーランスライターの光陰 (11)
長距離移動するフリーランスライターの光陰
(11)ダイブの思い出
2023年5月に新型コロナウイルス(COVID-19)が感染症法上の5類に引き下げられ、様々な規制が緩和された。ライブハウスにはマスクをせずにモッシュやダイブに興じる場面が戻ってきた。
約3年半という期間、ライブとモッシュダイブ文化は分断されざるを得なかった。その影響もあるのだろうか。モッシュやダイブが禁止されている夏フェスで、サークルモッシュに加わった、または巻き込まれた観客の一部が転倒し、肋骨を折るなどのけがをしたというニュースがあった。
それからしばらくSNSではモッシュやダイブに関する様々なエピソードでもちきりだった。それをTwitter改めXのタイムラインで見ていたら、ふと自分のダイブの思い出が蘇ってきた。かれこれもう10年前のことだ。
2013年某日。2000年あたりからライブハウスに足を運ぶようになり、2010年からライターとして活動を始め、フェスやサーキットイベントに参加する機会も増えていた当時のわたしは、ライブハウスという場所がどのようなものなのかはある程度把握し、その環境にもだいぶ慣れていた頃だった。
あの日は招待を受けたサーキットイベントを楽しんでいた。イベントが開演してから4時間ほど経ち、ずっと観たかったバンドを観に下北沢SHELTERへ足を運んだ。観客は全部で20人ほどで、フロアの後方や壁際に観客が集中していた。においに敏感でプチ潔癖症のわたしは、そこを避けて前方の開けているスペースに立った。そこはステージから3mほど離れたフロアの真ん中で、わたしの前には誰もいない。ボーカリストがよく見える特等席のような場所だった。
ライブハウスに出入りする人々のなかでは「前方エリアはモッシュやダイブをする人たちのためのスペース」という暗黙の了解があったが、それはだいたいが混雑しているときに適用されるものだった。周りを見渡しても「いまから暴れるぜ!」といった佇まいの人や、フェスキッズのような恰好の人もいない。普段着でフラッとライブハウスに立ち寄ったような、自分のスペースの範囲内で跳んだり腕や声を上げたりして楽しむタイプの人たちばかりだった。だからまさか、ダイブの被害に遭うなんて思ってもみなかった。
メンバーがSEに乗せて登場し、ライブがスタートした。攻撃力のある演奏で繰り出されるオルタナティブロックは、たちまちフロアのテンションを上げていった。「フロアが閑散としていると盛り上がらない」なんて言う人もいるけれど、集中力から生まれる演奏はそんなこと気にもさせない。わたしがパーソナルスペースを広く取りたいタイプだからなおさらかもしれないけれど。
心地よい演奏に身を任せた。ステージを観ることよりも、音の世界に入り込むことに意識が傾いていた。そのときだった。ついさっきまで音に浸っていたわたしは、一瞬でフロアの後方で仰向けになっていて、強烈な痛みを感じていた。何が何だかわからなかった。だがわたしがついさっきまでいた場所では、さっきまでステージの上で歌っていたボーカリストがステージ同様に暴れ狂っていた。ボーカリストが勢いをつけてフロアに飛び込んだ際わたしに衝突し、それによってわたしは突き飛ばされたのだ。
立ち上がろうとしても立ち上がれない。仰向けから両肘を立てて頭を起こすことがやっとだった。すると後方エリアの人が左右から同時にわたしの腕を抱え、立たせてくれた。すると少し遠くにいた人が、電池パックが飛び出したわたしのガラケーを蓋と一緒に持ってきてくれた。手に握っていたガラケーが、すっ飛ばされたときにすっ飛んだのだと把握する。くらくらする頭で礼を言う。
ライブは止まることなく続いた。なんならボーカリストがフロアに降りたことで、演者もフロアの観客もテンションがさらに上がり、興奮はピークに達していた。痛みで呆然とするなかフロアの後方でその様子を見ていると、自分が弾き飛ばされたことも自分自身の存在も幻想のような気がしてきた。
最後の曲が終わる直前に、汗だくのフロントマンは颯爽とステージに飛び乗り、華々しくライブを締めくくった。痛みが治まらないなか拍手をしたわたしは「もしかしたらこのバンドのメンバーさんかスタッフさんにお詫びのような声掛けをもらうかもしれない」と思った。それに備えて「大丈夫です。ご心配ありがとうございます」と流暢に言うために、ぼおっとした頭で何度もシミュレーションをした。だがバンドはそのまま退場し、すぐさま転換のためステージに戻って次のバンドに明け渡すために素早い手つきで撤収していた。自分の自意識過剰ぶりに、赤くなった顔がやけどでただれたように熱かった。
その様子をしばらく眺めていると、周りにいた20名ほどの観客はもう誰もいなかった。SHELTERの階段を1歩ずつゆっくりと上っていくなかで「ライブハウスで前に行くなら相当の覚悟をしなくちゃいけない」と言われたことを思い出した。覚悟もないのに前で観てしまったのがよくなかった。演者が飛び込む予測ができていなかった。周りが見えてなかったわたしが悪かった。自分が悪かったのだと反省をした。それからバンドのライブを前方で観ることはなくなり、その記憶にも蓋をした。
わたしはモッシュやダイブをしたいと思ったことはない。だがそれを楽しみに来ている人が多いことは理解しているし、狭い空間でもすみ分けをすることでお互いが楽しく過ごせるなら、それが折衷案なのだろうと思っていた。もともとモッシュとダイブは音楽好きやライブ主催者のなかでも解釈が多種多様で、どれが正しいといったルールはあやふやだったように思う。ゆえにその規制はライブ主催者に委ねられ、観客もそれを事前にチェックし、それに則ることで「自由に音楽を楽しむ環境」は成立していた。
だが3年間というコロナ禍において、それまでのライブにおいてのスタンダードが制限されたことで、モッシュやダイブに対する様々な捉え方が生まれたように思う。「モッシュやダイブをしたくない人が前で観られないなんて不公平だ」という意見が出ることは、10年前ではほぼ考えられなかった。
時代は変われども、今も昔も共通することがある。それはモッシュとダイブはけがと隣り合わせの危険行為であるということだ。火や包丁を扱うことと同等であると言っても過言ではないだろう。多くの人は、モッシュやダイブでこれまでに大きなけがをしてこなかったかもしれない。だがそれは運がいいだけとも言い換えられる。
自身の感情の赴くままに振る舞う人々は、演者に限らず非常にしなやかで嘘がなく魅力的だ。だが他者のテリトリーに侵入するときは、理性が必要ではないだろうか。そんなことを思う、2023年の夏だった。
◆「長距離移動するフリーランスライターの光陰」記事一覧
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