16ビートはやおの「音に呼ばれる人々」第12回~このまま生きていくんだろうな

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16ビートはやおの「音に呼ばれる人々」
第12回 このまま生きていくんだろうな

 

[1] なんでバンドを辞めなかったんだろう

このまま生きていくんだろうな。もう変えようがないくらい人生が面白いんだから仕方ないですよね。

2008年11月14日に初めてオリジナルバンドでライブをしてから約15年経ちました。そこからバンドというものにどっぷりとハマってしまい、学生を終えても、ブラック企業を経験しても、バンドだけは辞められず、会社員と並行してずっとドラムを叩いています。平日は必死で働き、土日祝は、ありがたいことにほとんどバンドの予定で埋まっており、忙しなく暮らしています。

正直なところ学生の頃の友人とは、随分と異なる人生を歩んでいます。どの人生にも優劣はありませんし、どの人生もタフだと思いますが、ちょっぴり友人が羨ましくなる瞬間もあります。

今回は僕がこんな人生に進んだきっかけやターニングポイントについて書いてみたいと思います。裏を返せば「バンドを辞められるタイミングでなぜ辞めずにだらだら続けていたのか」ということになると思います。読んでくださっているあなたも、何か辞められず続けていることってありますか?

 

[2] 学生の無敵感

「どうせどう転んだって普通の人生なんて歩まないよ」と大学入学当時の僕は思っていました。10代の無敵感と言いますか、学生という青春の全知全能感と言いますか。今思えばどこからそんな自信が湧いてくるんだというくらい、何に対しても実力も努力も足りなかったのですが、謎の無敵感に包まれた僕の標的になったのが、高校生から続けていたドラムであり、バンドでした。

とりあえず気の合いそうな、同じサークルの友達に声をかけて組んだのが、Emu sickSというバンドでした。部室に集まったところでなにもノウハウがないし、やり方だって分からない。曲作りってなあに? ライブハウスってなあに? という状態でサークルの先輩に斡旋してもらい、「三国ヶ丘FUZZというライブハウスでライブをする」というスケジュールだけが確定していました。勿論充分に曲ができるはずもなく、当日は「曲のようなもの」を3つ、後はTHE BACK HORNのコピーだったりを演奏していたような気がします。

そこで才能も実力もないことに気づけば良いものの、「ライブに出られた」という変な高揚感を得てしまったおかげ、そして周りの温かさゆえに、そのままメンバーでだらだらとオリジナルバンドを続けることになりました。

 

[3] 就職から逃げていた

バンドマンが「バンドから離れる」という理由の一つに「学生を卒業して社会人になる」というものがあります。楽しいけれどいつまでも安定しないバンドマンはある意味学生の延長のようなもので、どこか区切りをつけなきゃいけない、というものです。

なんとなく学生卒業と同時に辞めてしまう危機を回避してバンドを続けることに成功しても、20代中盤くらいに差し掛かると「今は楽しいけど、これからの人生どうするんだ」という焦りが生まれ、周りのバンドマン以外の友人がしっかり働き、結婚し始めている事実がそれに拍車をかけてきます。

しかしながらバンドの楽しさを知ってしまい、バンドを辞めるという選択肢を取れなくなっていた僕は「大学院に進学する」という技を使って、モラトリアム期間を延長することに成功したのでした。

僕以外のメンバーの一部は社会人になっていたものの、卒業のタイミングで「最近レコーディングした曲もあるしな…」「社会人でバンドやってる先輩(ナードマグネット)もいるしな…」という強引な言い訳を引っ張り出し、「ギリギリまでやってみるか」と濁しながらバンドを続けていたのでした。

しかしながらいつまでも学生を引っ張るわけにはいかず、僕自身も数年後には社会人となり、働きながらバンドをすることになりました。そうやって「学生からの卒業」という理由でバンドを辞める危機をぬるっと乗り越え、「ギリギリまでやってみるか」という暗黙の了解のもと、バンドを継続していたのでした。

 

[4] 30歳危機

「結婚して家を買って子どもを育てながら笑って一緒に暮らすこと」や、「何か他の自営を独立して始めてみること」と、「バンドを続けてライブをすること」の両立や未来の予測が難しいと感じる人がちらほら出てくるのが、「30歳」という区切りです。

両立できる人は両立できるし、どちらかに集中したい人はどちらかに集中する、何にせよその選択に迫られる瞬間が訪れやすい時期であり、この時期にバンドマンの友達はごそっと減りました。

僕の組んでいたEmu sickSは、30歳目前で諸般の理由から活動休止し、メンバーそれぞれ自分の人生を歩み始めました。ある種「ギリギリまでやってみるか」という呪いのようなものから解き放たれ、皆自由に歩み始めたのかもしれません。

そんな中、僕にかけられた呪いは強力で、「体が冷めてしまっては、また新しくバンドを始める気力がなくなるかもしれない」と別の焦りを抱えて、ZOOZというバンドを組むに至りました。その翌年、声をかけられてガストバーナーも始めることになり、30歳では全く区切りをつけることができず、むしろ呪いが強力に自分の体を縛り付ける結果になりました。

 

[5]バンドだけが全てじゃないから面白い

「バンドを辞められるタイミングでなぜ辞めずにだらだら続けていたのか」。それは、もう単純に音楽が楽しかったから、人に恵まれていたから、そしてまだ楽しいことが続く予感がしてしまったので、辞めるタイミングを意識的に見過ごしてきたからに違いありません。

しかし長くバンドをやっていると、バンドを辞めて他のこと、それは新しい事業であったり、子育てだったり、結婚生活であったり、仕事であったり、そういったことに楽しさを感じ、全力を尽くしているかつてのバンド仲間も多くなってきました。同様にかつてはライブハウスに通い詰めていたけれど、今は別の楽しいことを見つけたお客さんも、多くなってきました。それはとても素敵なことで、羨ましく眺めているところもあります。

楽しい呪いにかけられている僕は、まだしばらくライブハウスにいます。長くバンドをやっていると、ライブハウスの外と内、長い年月をかけて少しずつ変化するバンド仲間、お客さん、様々な人生が見えて、人生という枠組みで楽しめるようになってきました。まだまだきっとこれからも、人生は楽しい。また、気が向いたらライブハウスで会いましょう。

 

[追記]

本コラムの第8回「母のビート」にて書かせていただいておりました、癌で闘病していた母ですが、2024年4月5日に亡くなりました。享年59歳でした。コラムを通じて色々気にかけていただいた方々、本当にありがとうございました。母はやはり、最高の母です。最期までかっこよかったです。僕ももっと、かっこよくならなきゃな。

生前母からもらった「あんたの人生も色々あったけど、今回の人生はドラムを叩く運命やったんやね」という言葉を胸に刻み、ビートも刻もうと思っております。たとえ根負けでも、ドラムを叩き続けることを許してくれたお母さん、ありがとう。息子が急に「16ビートはやお」という名前に変わっちゃってごめんなさいね。まあでも、皆のおかげで楽しくやってるので、たまにはライブ覗いてみてね。

 

16ビートはやおの「音に呼ばれる人々」一覧

 

◆Live Information

〈ZOOZ〉
○2024/5/26(日)東京・下北沢LIVE HAUS

〈ガストバーナー〉
-ガストバーナーpre.三種の神器ツアー
◯2024/5/11(土)名古屋・新栄CLUB ROCK’N’ROLL
◯2024/5/25(土)東京・池袋Adm
◯2024/6/23(日)神戸・太陽と虎
◯2024/6/29(土)富山・ソウルパワー

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