コントユニット・モノスグランデ小山耕太郎の「コラマず」第1回
はじめに
このたび、コントユニット、モノスグランデの小山さんに執筆をお願いいたしました。小山さんは静岡県在住で、ライヴだけでなくネットを使ったり、脚本を執筆したりと、自由なかたちでコントユニットの活動を続けているかたです。わたしも神奈川県のほぼ静岡とも言えるような場所に住み、雄大な富士山を目の前にする生活を送りながらライター活動をしています。そして地方在住のアーティストやバンドマンも増えています。東京でないとクリエイティヴな活動ができないというわけではない、東京以外でも面白いことができる。この小山さんのコラムが、そんな提示のひとつになれば……と思っています。毎月15日更新。「コラムの難」と題された第1回目は自己紹介と、笑いと音楽の共通点について書いていただきました。 沖 さやこ
コントユニット・モノスグランデ小山耕太郎の「コラマず」
第1回「コラムの難」
まずこのコラムを書き始めるに当たり、このような場を設けてくださった沖さやこ様に感謝致します。
さて、第1回目のコラムですがいかんせんコラムを書いたことがない僕は何をしていいやらよくわかりません。とりあえずご挨拶がてら、僕自身の事についてお話ししたいと思います。
小山耕太郎。28歳。モノスグランデというコントユニットで笑いを研究実験しています。
普通に芸人に憧れて、普通に上京して、友人と東京NSC(吉本興業養成所)に入学したが家業を継ぐために芸人としての活動はたった2年で終わってしまった。終わってしまった、というのは少し違うような、ここは僕のいいかげんな性格が幸いして「笑いをつくりたい」という単純脳は動き続け、うっかりこのスイッチを切り忘れたまま静岡に帰ることになった。
この誤魔化しが、僕の現在を築くひとつのキーワードになった。「安定した収入がある。この金でライブが出来る。」そんな、デッカい歯車2個でやってますというような簡単な思考回路。だがやはり事はそう上手くはいかなかった。
単純明快、集客に悩んだ。女の子が好きなアロマを焚いたりしたけど誘われて来る子は居なかった。
「東京で一人でコントライブ一時間やってみよう。」
なんとなくの思いつきだった。一回目のライブは「すべては君の為だから」という題目。一人コントを6本くらいやって、最後のセリフがすべてそれで終わるようなものをつくった。
お客さんは10数人だったけど、なんだか一人で全部やることに異常な快感を覚え、この余ったアドレナリンで箱代を払えればとさえ思った。
その後は一人コント、劇団への脚本提供、音声コントを経て、今ではnoteというクリエイター向けSNSで創作しています。やはり、研究・実験が近い表現かなぁと思います。
音楽とコントというのはクリエイティブな娯楽という共通点があります。一方では創造的で難解なのに娯楽として楽しめちゃうという二面性が面白いところ。作品に命を吹き込むなんて小難しい言い方もあるけど、音楽もコントも、その人物・状況のデータを受け手にどうやって渡すかが創作になります。あとは、どんなプロジェクターで映すのか、どこに投影するかは委ねられている。そんな、相互の信頼関係みたいなものがまた気持ちいいのだろうなあ。
モノスグランデ小山耕太郎