求めてもらえるから生きていける――FLiP活動休止から5年半、より自由に躍動するSACHIKOの音楽欲

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sachiko_202109_01求めてもらえるから生きていける――
FLiP活動休止から5年半、より自由に躍動するSACHIKOの音楽欲

 

2016年3月のFLiP活動休止から5年半。同バンドのフロントマンでありソングライターのSACHIKOが精力的な活動を見せている。
休止から1年というインターバルでソロプロジェクト・MAISON”SEEK”を立ち上げたものの、数本のライブと2曲発表したあと同プロジェクトからのアナウンスは途絶えた。彼女からそれに対する言及も、表立った活動もなく、時折動くSNSはどこか息苦しさを感じる文面も多かった。文章から想像する彼女は、途方もないくらいの広い海原で、ひとり手漕ぎボートを漕ぐように、音楽との付き合い方を模索しているようにも感じられた。
だが2020年、1月の頭には「新しいバンドを組みたい」と宣言し、miscastの作詞担当や、新人シンガー・MindaRynへの楽曲提供など、外に向けた活動が増えていった。そして2021年の夏、MAISON”SEEK”以来となる彼女のオリジナル曲「little star」がリリース。間違いなく彼女が新しいフェーズに入っていること、音楽とともに生活をしていく環境が整ったことを確信した。ここに至るまでの5年半、彼女はどんな思いで音楽と接してきてきたのだろうか。この期間のことをじっくりと振り返ってもらった。

取材・文 沖 さやこ
撮影 アンザイミキ
協力 東放学園音響専門学校/TOHO会

 

SACHIKO_202109_aphoto◆SACHIKO(さちこ)
2005年、地元沖縄で4人組ロックバンド・FLiPを結成。ギターボーカルとソングライターを務める。同バンドにて全国リリースや海外公演を経たのち2010年にメジャーデビューを果たし、2016年3月にワンマンライブ「WonderLand」を以てバンドが活動休止に。2017年にソロプロジェクト・MAISON”SEEK”を始動。2019年にはクリエイティブチーム・P.L.W.STUDIOSの楽曲に歌唱参加、miscastへの作詞提供、POLPOのコーラスレコーディングに参加するなど仲間の制作をサポートする。2020年からシンガー・MindaRynに楽曲提供を行い、2021年にはガールズユニットLYSMの1stシングル「ネオンで花束を」の作詞作曲を担当。そのほかにも様々なアーティストへ楽曲を提供している。同年7月にはSACHIKO名義でPABLOと共作した「little star」をリリース。
(Official : Twitter / Instagram

 

◆ギターを持って歌う自分が、身体の内側にまで刻まれてる

――FLiPが活動休止した直後、心境としてはいかがでしたか?

SACHIKO 活動休止前ラストライブを終えたあと「やり切った」という気持ちが大きくて、脱力感と解放感が共存してました。「新しい活動をやっていくぞ」というモードにもならなかったから、まずは焦らず、何をしたいかをじっくり考えて。それで普通に働き始めたんですよね。

――へええ。そうだったんですか。

SACHIKO 高校2年生でFLiPを始めてから、メンバーやバンドマン、支えてくれるスタッフさんと深い絆を築いてきたけれど、それは裏を返すと狭いコミュニティで生きてきているということでもあって。だから音楽の世界ではない同年代の子たちと一緒に働いてみたいなと思ったんです。あと、その時その時で最善の選択をしてきたとはいえ、「あれは本当に最善だったのか?」「あの時わたしがこう言葉を返していたら、もっとうまく感情を伝えられていたら、どういう世界線で生きていたんだろう?」と思うことも多かったんです。人間としての中身がまだまだ足りないという自覚があったんですよね。

sachiko_202109_02

SACHIKO

SACHIKO どんなお仕事や環境でも、やっぱり人間力が重要だと思うんです。大切な人たちから「あなたと一緒にいたい」と思ってもらえる人になりたかった。バンドマンやメンバー以外の同世代の人と働くなかでいちリスナーとしての目線が持てるようになったし、仲良くなった同僚とごはんに行って、「ああ、こうやってただ思いつくままに他愛のない話をするのって人生に必要かも」と思ったし。いろんな気付きがありました。

――その生活のなかでソロプロジェクト・MAISON”SEEK”の活動を始めるようになる。

SACHIKO そうです。デンマークのMØというアーティストの音楽とライブスタイルがめちゃくちゃ好きで。彼女のような形態で音楽をやっている人は当時の日本で少なかったのもあって、その感じでソロ活動をやりたかったんです。それでドラムのグルーヴがすごく好きだったSHOZOくんと、SHOZOくんの知り合いのLASTorderに協力してもらって始まったのがMAISON”SEEK”ですね。LASTorderにインストのトラックを作ってもらって、そこにわたしが日本語詞とメロディを乗せるという流れの曲作りでした。


MAISON “SEEK” Short documentary 2017.6.18 1st LIVE

――それまでやってこなかった方法での制作であったと。

SACHIKO わたしでは作らないコード進行にメロディを乗せるのがすごく楽しかったし、新鮮さはつねにありました。でもあるタイミングで「あ、わたしやっぱりバンドサウンドがやりたいのかも」とふと思って。どんな形態のバンドなのかははっきりしていなかったけど、バンドでやりたい気持ちがじょじょに芽生えてきたんです。それをふたりに話して、一旦MAISON”SEEK”の活動に区切りをつけたんですよね。

――新しい1歩へと踏み出したSACHIKOさんを引き戻してしまうほどのものが、バンドサウンドにはあったということでしょうか?

SACHIKO ありましたね。ハンドマイクで自由に羽ばたくように歌うのは、幼少期からの夢でもあったんですけど、ギターを持って歌っている自分が身体の内側にまで刻まれてることに気が付いて。「わたしにはギターという武器があるのに、なんでそれを使わずに歌っているんだろう?」って。いろんな葛藤も込みでわたしにはバンドサウンドが基盤にある音楽がフィットする――それに気付いたのはMAISON”SEEK”の活動がきっかけでしたね。

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MAISON”SEEK”が事実上の活動休止となり、再びストップしたSACHIKOの音楽人生。彼女がモチベーションを取り戻すきっかけになったのは、尊敬する音楽家の助言だった

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