LUNKHEAD 『家』
ALBUM(CD)
LUNKHEAD
『家』
2015/04/01 release
徳間ジャパン
10作目で迎えたひとつの到達点と新たな出発点
地図。月と手のひら。LUNKHEAD。FORCE。孵化。AT0M。[vivo]。青に染まる白。メメントモリ。この9枚のフル・アルバムを経て、LUNKHEADが作り上げたのが10枚目のアルバム『家』。愛媛から旅立ち、ここ東京で地図を広げたLUNKHEADが10枚目にして家を建てる。『地図』時代のLUNKHEADは、とにかくここではないどこかに逃げ出そうとしていたし、旅立ちたくても旅立てないもどかしさや自身の葛藤や閉塞感をそのまま音楽や言葉にしていた。それがいま、このバンドは“うちにかえろう”と言い、その“家”という場所をリスナーとの間に作り上げている。
いつからか「家、みたいなバンドでありたい」と思うようになりました。最初は単に「LUNKHEADを愛してくれているみんなにとっていつでも帰って来れる場所としての家でありたい」でした。でもいろんな事があった俺らをそれでも本当に信頼してくれて、そして心の底から笑ったり泣いたりしてくれるオーディエンスのみんなをいつも見てるうちに、俺らにとってもここが帰ってくる家なんだと思うようになりました。(※小高芳太朗氏の公式コメントより抜粋)
メジャーデビューから11年という歳月で、奮起して外の世界へ歩みだし、開けた活動のなかで自分自身の心と向き合い、闇から光を掴みとり、満身創痍になりながらも本心を偽ることなく、音楽を生み出してきたLUNKHEAD。だからこそ『家』は、聴く者の心に向かってまっすぐと鳴らされる、あたたかく洗練された大きい音になった。
この原稿を書くにあたり、ONE TONGUE MAGAZINEに掲載した、1月18日に開催された『一世一代のみかん祭』の密着レポートを先日読み返してみた。あのときは時間に追われていたので、とにかく夢中で書いていたのだが、いま読んでみるとかなり的を射たことを書いていて、少し前の自分自身に感心した。その一部を抜粋する。
LUNKHEADはいつの時代も「現在」が最も聡明で輝いている。これは絶対的な事実だ。『AT0M』以降、特に『[vivo]』での覚醒とそれ以降の勢いは、何かを背負い、覚悟を決めた人間でないと出せない強さや重み、深みや極限がある。ソングライターである小高芳太朗という人間の成長や悟り、気付きは広がりつづけており、年齢を重ねるごとに彼の感受性は鈍るどころか研ぎ澄まされるばかりだ。そんな彼が作る楽曲には、表現力が上がりつづける各プレイヤーの美学が貫かれたフレーズが溢れ、そのひとつひとつに楽曲への尊敬が通っている。そんな各々を認め合う主張が成立しているLUNKHEADの音楽が、眩いほどの光を放つのは必然なのだ。(※2015年1月27日公開・ONE TONGUE MAGAZINE LUNKHEAD『一世一代のみかん祭』密着レポート)
ちょっと前の自分が鋭いこと書きすぎで、いま困ってるくらい、『家』はこの言葉に尽きる。まず『家』は、LUNKHEAD史上で最も小高芳太朗の人物像が前面に出たアルバムである。これまでは小高芳太朗の作る楽曲のなかでどれだけ暴れてやろうか、どれだけ自分の色を出してやろうかという楽器隊のプレイとのせめぎ合いがLUNKHEADのダイナミズムだったのだが、『家』に収録されている楽曲はどれも、プレイヤーの主張もありつつ、彼の世界を引き立てることが意識にあったのではないだろうか。小高芳太朗という神輿を楽器隊の3人で大事にしながら派手に振る舞い、担いでいるというのが、まず最初に受けた印象だった。
それを裏付けるように、小高氏のメロディと歌詞、すなわち歌の急成長がある。これはタワーレコード&ライヴ会場限定でリリースされた「スターマイン」(※『家』にも収録されている)の頃から思っていたことだが、ここ1年で、彼のメロディのセンスが格段に上がっているのだ。その理由のひとつに、彼の歌唱力の上昇がある。かつては張り上げていたであろう高音は零れるようにナチュラルに広がり、その歌声が導くが如くメロディも滑らかに舞う。むかしから彼はバンドを引っ張っているのは自分だという意識を持っているだろうが、今回はその気持ちにプラスして、完全にメンバーに寄り掛かることができたのではないだろうか。自分の歌に確かな手ごたえを感じているから、張りつめた歌声で前に出る必要はないし、余裕を持った歌がうたえる。そんな歌が真ん中にしっかりと立っているからこそ、プレイヤーもそこを引き立てたいと思う。そういうことが自然とバンドのなかでできるようになったのが、『家』なのではないだろうか。
折れそうな心を繋ぐ奮起の強さを放つ【MAGIC SPELL】、12月の事故がきっかけで生まれたという青い生命力あふれる【僕たちには時間がない】、“本気でみんなを救いたい”という心が生んだスケール感のある【シンフォニア】、些細な日常が掛け替えのないものだと歌う壮大なロック・バラード【うちにかえろう】など、聴くものを“救う”曲が多い。そして中盤の小高氏の内側に潜む感性そのものとも言える【金色のナイフ】からその物語は深くなる。特に【神様なんていない】【誰か教えて】は、彼が「救いがまったくない曲」と言っていたものだ。確かに歌っている内容は、悲痛とも取れる言葉が並ぶ。だがこれを単なる“救いのない曲”で終わらせないのが現在のLUNKHEADの力。救いがないなら、死に物狂いでそれを掴みとろう――“無”の向こう側にある“有”へと突き抜ける熱量、それが「信じる」ということだ。
LUNKHEADは自分たちの音楽を信じている。もちろんいままでもそうだが、『家』ではそれがひとつの芸術として成立しているのだ。彼らはここでようやく「自分たちを信じたい」という願望を「自分たちを信じている」という確信に変えた。だから救いがない曲にも、そこでは終わらせない強さを宿らせることができる。そしてラストの【玄関】で、彼らはひとつの大きなメッセージを投げかける。家は唯一自分自身を解放できる、パーソナルな空間だ。とても居心地がいい。でも、居心地のいい場所にいるだけでは居心地の良さは感じることはできない。いつでも帰ってこれる家を建てたLUNKHEADが、これからまたもっと広い場所へと旅立つことを示唆していると言える。とはいってもまだ彼らは16年のバンド人生すべてを使って家を建てたばかり。まだどこに旅立つかは決まっていないだろうし、きっとそれは日比谷野外大音楽堂への道のりのなかで見えてくるのだろう。だから『家』はひとつの到達点であり、新たな出発点であると思う。これまでずっとLUNKHEADをいちリスナーとして遠くから眺めてきたが、「到達点」と「出発点」という感覚を持たせてくれたアルバムは初めてだ。このバンドはまだまだ終わらない。『家』には走り続けてきたバンドだからこその体力と美学が鳴り響く。それはファンファーレのように盛大で、幸せな笑い声のように眩い。(沖 さやこ)
◆Disc Information◆
LUNKHEAD/家