倖田來未デビュー15周年――「自己主張」という個性が切り拓いたキャリア
倖田來未が活動15周年を迎える。その15年のうちに、下積み時代やラジオでの発言により活動自粛など、彼女は何度か「これで消えるのかも」という局面に出くわしている。後者に関しては自分の巻いた種ではあるが、それでも彼女は立て直した。それが出来たのは、彼女の個性とも言える、良くも悪くも表舞台に立つ時の”恥”と”遠慮”という概念がないからだと、僕は思う。
その遠慮のなさが彼女の音楽にも顕著に出ている。ここまで”アメリカのポップス音楽とパフォーマンス”に感化されているのを開けっぴろげに出来る人は、実はあまりいない。それはどこかで遠慮してしまうからだ。けど彼女にはそれがない。あけすけだ。欧米ポップスのパクりなのではと言われても「オマージュです!」と笑顔でズバッと返して来そうなほど潔く、さらに「だってかっこええやん?」と問いかけて来そうな押しの強さがある。
ただ、それが最初から出来ていたわけではない。今の倖田ポップスが出来るまでには、少々時間がかかった。もともとHIP-HOPや洋楽が好きなこと、日本のChristina Aguileraになりたいと語っていたりと、デビュー当初から欧米音楽への憧れが強かったのもあるのかもしれないが、彼女の音楽のポリシーは、“クールでかっこいい音楽を歌いたい”という、シンプルなものだと思う。
彼女はゲーム「Final Fantasy X-2」の主題歌と挿入歌『real Emotion / 1000の言葉』(2003年3月)で世間に認知されはじめた。それまでにもタイアップを受け、プッシュはされるものの中々名前が前に出て来なかった彼女にとっては、大きな転機になると思われた。が、結果「FFの人」止まりだった。3rdアルバム『feel my mind』(2004年2月)がリリースされた時のコメントで「ブックレットの写真沢山掲載されてるからレンタルじゃなくて買って見てね」という風に言っていたのを覚えてる。当時の彼女は聴いてもらうよりも買ってもらうほうが重要だったのだと思う。それはもちろん売れたほうがいい。ただ、彼女の場合はタイアップの多さやアニメやゲームタイアップソングのヒットがあるので、もしかしたらそういう面で成績が求められていたのかもしれない。それに彼女が目指す“メジャーの第一線で活躍する歌手”にはやはり、売り上げというものが輝くトロフィーだったのだろう。
実写映画『キューティーハニー』(2004年5月)では同作品のアニメ主題歌をカヴァーし、再び話題を集めたが、その主題歌のみの局地的なヒットに終わった。が、同曲を引っさげて音楽番組への積極的なプロモーションを行い、世間で言う“過激”な衣装でお茶の間を「何だあの露出度の高い、おっぱいのおねーちゃんは」とざわつかせた。ゴールデンタイムの音楽番組でパンツ姿(ズボンのことではなく、下着のパンツ)でお尻を振って踊るギャルのおねーちゃんは、それまでのJ-POP界には(テレビ番組に出ていないだけで、もしかしたらいたのかもしれないが)いなかっただろう。それが親御さんたちから何て格好を!と言われたのか「ちょっと色々なお声を頂いたので」と笑ってコメントするホットパンツ姿の彼女の屈託の無い笑みも印象的だった。その後もPVで惜しみなく肌を見せ、胸を揺らし、「エロかっこいい」という言葉と共に話題を集め、4thアルバム『Secret』(2005年)、そして全PVが収録されたDVDを目当てに買った人が多いと言われたベストアルバム『BEST ~first things~』(2005年9月)が特大ヒットを飛ばし、6年がかりで彼女はついにビッグウェーブに乗ることが出来た。ようやくリリースをすればオリコン上位に入るのが当たり前の歌手になったのだ。
彼女は“ライトに音楽を楽しむ層”を取り込むことに成功した。だがそれゆえか、“ザ・わかりやすいJ-POP”という商業ポップスを好む層に向けた曲を歌うことを求めらるようになる。その時期に彼女は“自分が歌いたい曲はアルバムで、皆が聴きたいのはシングルで”とコメントしていた。会社の方針などもあったと思うが、今はとにかく地盤を固めるのが大切だということなんだな、と当時の僕は思った。売れる前の音楽の方が好きだったと言うファンの声は少なくなかった。僕もそのうちの一人だった。売れた者の宿命といえばそうかもしれない。あの音楽ファンに高い人気を誇るBONNIE PINKやCrystal Kayも、ライト層に思わぬ程にヒットした後、方向性の舵取りに困難を極めていたのではないだろうか。
従来の音楽性をとるか、世間の反応をとるか、どうするか。倖田來未の場合は、彼女は自分のやりたい音楽よりも、世間の反応に重きを置いた方針だったが、当時の彼女はようやく日の目を浴びたことが本当に嬉しくてしょうがないという様子だった。そのおかげか肌なんてピッチピチのツヤツヤテカテカだった。寂しさもある反面、憎めなかった。
それでも、当時の彼女のキャッチフレーズでもあった「エロかっこいい」が、彼女のやりたい“クールでかっこいい欧米ポップスライクな音楽”をやる方向を少しだけ守ってくれていた。当時世界中でヒットを飛ばしていたJustin Timberlakeの【Sexy Back】を彷彿とさせるバウンシーなトラックの【BUT】(2007年3月)をシングルとしてリリースしたりもしていたが、その均衡を保つのは容易ではない。同曲を収録したアルバム『Kingdum』(2008年1月)は世間向けの曲と彼女のやりたい曲のバランスが全く取れていない、曲順も合間ってアルバムが空中分解していた。
その後、ラジオで不適切な発言をした影響で活動は自粛された。テレビで謝罪をしたが、週刊誌では掌を返したようにバッシングされた。女性ファンが多い彼女への同性からの反発が大きかった。発言も悪意があったわけではなく、どこからか聞いたことをそのまま言ってしまったようなものだったが、これに関しては鵜呑みにしてしまったこと、自分の発言力を理解していなかった彼女自身に責任がある。身から出た錆だった。
このまま引退か?言われていた中で、彼女の今後の音楽をシフトチェンジするタイミングが世間では起こっていたのだ。
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