コントユニット・モノスグランデ小山耕太郎の「コラマず」第14回~男女の難
コントユニット・モノスグランデ小山耕太郎の「コラマず」
第14回「男女の難」
今回は、男性ミュージシャンと女性ミュージシャンについて。
僕自身はあんまりここで区別して考えたことがなかったのですが、どう考えても「私立恵比寿中学」と「さだまさし」はやっぱり違いますもんね。私立恵比寿中学で【償い】は変だし、さだまさしで【未確認中学生X】は、変かと思いきや学ラン姿のさだまさしさんが意外と想像できますね。
さて、男女ミュージシャンの大きな違いはなんでしょうか? パッと思いつくのは、人間がもつ男女それぞれのイメージの利用の仕方にあるかと思います。例えば、これは仮定の話ですけど、男性が抱く男のイメージが「力強さ」に対して、女性が抱く男のイメージは「ベーゴマ」です。女性が抱く女のイメージが「かわいらしさ」に対して男性が抱く女のイメージは「アボカド」です。このあたりの互いのイメージにズレがありますから、同じお題で曲を書いても実は同じ方向は向いてないわけです。コントにおいても、女性キャラクターと男性キャラクターはセリフの置き方は結構違って、男性キャラの場合はセリフ短めの短距離で決めたほうがハマりやすい気がしますが、女性キャラは結構ダラダラさせた方がハマります。これは、僕がイメージする男女の面白さがそこにあるのでしょう。
そういえば最近女性シンガーソングライターの黒木渚さんの曲を良く聴いています。これがまたいいのです! 僕が特に好きな【アーモンド】という曲は〈首に腫瘍のあるハトは〉というグロテスクな歌詞から始まる曲で、先ほどの説明で言えば、「女性らしくない歌詞」というギャップがありまるわけですね(※編集部注=歌詞全文はこちら)。ストーリー展開としては、この鳩は首の腫瘍が重いのか、はたまた他の鳩とは違う存在としてコンプレックスに押しつぶされてか、ずっとうつむいてこちらに気づいていない。その鳩に「悔しくはないのかい?」とアーモンドをひとつ投げる。そしてこの鳩に自分を重ね、アーモンドをという孤独の種を噛みしめ、またひとつ強くなっていく・……おお、カッコいいですね。次に登場するのは迷子の女の子。母の姿が見えず、助けてくれようとする大人たちみんなが敵に見えている。そんな女の子にアーモンドを握らせる。アーモンド似のお母さんであれ……! というギャンブル。さすがにここの考察には自信がありません。
とまあ僕が何を言いたいかというとですね、この黒木渚さんが書いた【アーモンド】という歌詞は女性である黒木渚さんが書いたという意義がすごく大きい気がするいうことなのです。僕はこの【アーモンド】というストーリーをあるく主人公は黒木渚さん自身であると思っています。そう考えると、「首に腫瘍のあるハト」という、本来であれば女性が特に近寄りがたい存在のものに対して、怖がっていない「私」が鳩に自分を重ねているという憑依性がより強力になる気がします。そして次にでてくる迷子の子供に与えるアーモンドは「母性」であるという具体性の強みにもあるわけです。やっぱり、その歌詞をまとわせる歌い手の性別というのは、その曲の説得力や強みを生み出せる演出効果があるのではないでしょうか? じゃあニューハーフが歌ったらより具体性の出る歌詞はどういう歌詞なのでしょうか? たぶん「真っ赤なドレスにハイヒール。なのに足がすごく速い」だと思います。
小山耕太郎
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