就職希望者に捧ぐ! ライター&編集者の山あり谷ありなリアル ~ONE TONGUE SUMMIT #5
ONE TONGUE SUMMIT #5
就職希望者に捧ぐ! ライター&編集者の山あり谷ありなリアル
東京と神奈川を中心に音楽ライターとして活動している沖さやこと、福岡在住の情報誌編集者・ふくこと福島大祐が、タイムリーな音楽事情を語り合うコラム「ONE TONGUE SUMMIT」。今回のテーマは、ふく氏の「沖さんの記事やTwitterをふだん読んでいる人って比較的若くて音楽好きなキッズが多いイメージなんですが、きっと沖さんのように音楽業界で働いてみたいとぼんやり考えている若者も多いと思うんですよね。そういう人たちやライター/編集業に興味ある人に向けた就職指南と活動の実態レポートのようなものはどうでしょう?」という発案により、東京を中心に活動する音楽ライターと、地方都市在住でエンタメ業界に携わる編集者の活動の実態をレポート! みなさんが気になっているであろう○○の話題も言及します。
◆前途多難、紆余曲折の業界入り前夜
沖 わたし、一般的なフリーランスライターの歩み方をしていないので就職指南が参考になりますかしら……。そもそもわたしがいまフリーランスでこの仕事をしているのは、就職活動に失敗したからなんですよね。わたしは編集部所属経験がないから、いきなりフリーランスからのスタートなんですよ。
ふく 地方と首都圏のライター/編集者で仕事の数も規模も違うでしょうし、いろんなパターンがありそうですね。僕は沖さんの野性味あふれる活動の感じが好きですけどね~。自力でサヴァイヴしているというか。
沖 コネも肩書きもキャリアもないので自力でなんとかするしかなくて(笑)。音楽系の専門学校の2年生だった2008年から、とにかくいろんな音専誌に履歴書を送ったんですけど、ことごとく書類審査すら通らずで。それで卒業間際の2009年1月に、講師の先生が音楽系のフリーマガジン(※現在は廃刊)経営の社長さんを紹介してくださって、インターンでその媒体で執筆しているライターさんのアシスタントを始めました。仕事の内容は主にライターさんのテープ起こし。その編集部に就職できるかも……という話が出たんですが、卒業式の次の日に面談をしたら、「あなたにはコネがないから雇えません」と言われてしまって。大きな挫折を味わうわけです。
ふく そんなにハッキリ言ってくるとは……。
沖 それからしばらくは家業の手伝いとアルバイトをして就職活動してました。そんなときにその雑誌で書いていた他のライターさんから、アシスタントの依頼があって、再びテープ起こしや、ライターさんが稼働できないライヴのレポートを書く機会を頂くようになりました。DIR EN GREYやPlastic Treeの原稿が多かったですね。アシスタント時代にメジャーバンドにインタヴューもしました。テープ起こしにはギャラが出ましたが、原稿料はなし。でも書けるだけでうれしかったし、本当にありがたかったです。でも就職活動は相変わらず全部書類審査も通らず……。そんななかで、専門学校の講師の先生が大規模なイヴェントを立ち上げるとのことで「ライターを目指しているならここで記事を書いてみてはどうか?」と提案してくれました。それが2010年5月です。そのイヴェントの関係者向けのプレゼンで、その人がわたしのことを「ライターの沖さん」と紹介してくださって。それがわたしのライターのスタートだと思っています。そのあとも就職活動を続けてたんですけど、全然箸にも棒にもかからず……。そのままライター業が忙しくなって、いまに至ります。ふくさんはどういう経緯でいまのお仕事に?
ふく 高校卒業後に編集学科のある専門学校に入り、学校に求人が来ていた編集プロダクションでアルバイトを始めました。そこは主に旅行誌を手掛けているところで、卒業後そのまま入社。そこで編集人生が始まり、雑誌制作の基本的なことを学びました。その会社は雑誌制作以外に、当時iモードの釣りサイトを運営していて、釣り経験まったくなしの僕がそのサイトの管理人みたいなものを任されて。当時は若くて今より従順だったので、「これも文章を書ける仕事だ……」となんとか奮起していましたが、狭い会社内で自分が関わっていない雑誌が生まれていく環境は結構つらかったです。職場は往復2時間半ぐらいかかるような遠方だし、給料も手取り11~12万ぐらいで常に家賃やケータイ代を1カ月分滞納しているような生活だったので、「こんな困窮してまで行きたい会社じゃないな」と、辞めたくなっていったのです。これが10年くらい前の話ですね。
沖 その編プロを退職なさったあとはどうなさっていたんですか?
ふく 細々と釣り原稿を書き、その後卒業した専門学校の先生に紹介されて、健康食品や化粧品の通販会社に就職しました。一応「編集経験ありということで、会員向けの広報誌の編集」と聞いて入社したのですが、待っていたのは受発注管理のような仕事でしたね。僕の社会人経験の中では唯一雑誌と関係のない仕事をしていた時期です。ここも1年ちょいで辞めました。ちなみに給料だけはとても良く、編プロ時代の倍以上になりました。今より良いです(笑)。
沖 わたしも家庭教師で生徒さんを5人受け持っていたときが、いちばん稼いでいた気がします(笑)。そのあとは?
ふく 「今度こそ編集の仕事に戻りたい」と、福岡でたしか3~4社に履歴書を送りました。その中でパチンコなどを扱ったフリーペーパーの編集のアルバイトに受かり1年間働いたタイミングで、福岡で最も歴史の古い老舗雑誌を読んでいたら誌面で求人を発見しまして。なんだかビビッと来たのでそこを受けてみて、その雑誌の巻末についている「スタッフ日常4コマ」で当時の編集長が漫画好きということを把握していたので、「絶対面接でさりげなく漫画の話にもっていくぞ。そして面接官全員笑わせたる」と思って面接に臨みました。
沖 へええ! すごい度胸。
ふく これすっごい大事だと思います。面接で笑いをとった人はたいてい受かるんじゃないでしょうか。「この兄ちゃんと仕事したら面白そうだな」と思われたかったので、自分なりの精いっぱいの社交性を半ば演じて、採用してもらいました。それが今の出版社です。2008年秋頃の話ですね。
沖 2008年の秋ということは、わたしが専門学校2年生で、履歴書を出しまくってた時期ですねー……。「この人と仕事したら面白そう」というのは大事ですよね。わたしの履歴書にはそれが足りなかったんだと思います。頼まれてもないのに自分が書いた記事のコピーを同封しましたし、履歴書には「御社の雑誌でわたしはこんなことがしたい」と企画書まがいの内容を書いてました。こんな面倒で図々しいやつ会いたくないな~といまになっては思います。
ふく ウチの編集部はそれぐらいエネルギッシュな人材を現在欲しがってますけどねぇ。