就職できなかったフリーランスライターの日常(22)
就職できなかったフリーランスライターの日常(22)
取材に遅刻した話、行けなかった話
「どんなに仕事ができない人間でも、唯一できることがある。それは遅刻をしないということだ」
「遅刻をするということは相手を待たせるということ。すなわち相手の寿命を奪うという行為だ」
どこの誰が言ったのかまったく頭に残っていないが、言葉自体は二十歳ぐらいの頃からずっと印象に残っている。学生時代は自分にしか被害がないので何も考えず遅刻に精を出していたが、仕事やアルバイトとなると「一緒に働く人やお客様に迷惑を掛けてしまう」という良心はそれなりにあった。おまけに就職もできず、仕事がなければ無職でしかないレベルのフリーランスであるわたしは、遅刻なんてしたらまじでアウト。怒られもせずに切り捨てられて終わりだ。ライターさんのアシスタント時代も、遅刻をしたことはない。
だがプロになって初インタビュー取材で、いきなり遅刻をぶっかました。最悪すぎる。
10年前、2010年の秋。伊豆高原からえっちらおっちらと取材場所の渋谷へと向かった。取材場所は普段あまり足を運ばないエリアだったが、渋谷はよく遊んでいたので「まああの辺だろうな」と謎のスカしをかましていた。精神年齢14歳のイキった田舎のクソガキでしかない。
わたしの考えていた「あの辺」とは「桜丘町」だった。だが実際の取材場所は「宮益坂」。ちょうど点対称の場所に移動してしまっていたのだ。ちなみにわたしは宮益坂エリアに足を踏み入れたことはそれまでに一度もなかった。
30分前に渋谷に着いていたのに、地図に書いてある「坂を上り切る手前の道を左折」してもその名前のカフェが存在しない。わたしは点対称の位置の桜丘町にいるのだから当たり前だ。だがその事実に一切気付かず、なんならこのあたりではないはずがないという過信による思い込みで、とにかくうろたえてしまった。
取材10分前に編集部の人に電話をし、「今どこにいますか?」と訊かれるも、当時は桜丘町という名前を知らなかったため、今いる場所が説明できない。「並木がある坂を上ってきたんですけど……」と伝えるも、宮益坂も並木があるため編集さんも「じゃあたぶん近くにいらっしゃいますよね」と悩み込む。とにかく手当たり次第に目に見える特徴、通ってきた道を話していくと、編集さんはわたしが桜丘町にいることに気付いたらしく、「一度ハチ公前に戻れますか?」と提案。わたしは一目散にハチ公前に行き、言われたとおりにガードをくぐって宮益坂へと走った。
移動距離800mほど。全力疾走で坂を下って、全力疾走で橋を渡って……プランニングのまるでなってない中距離走である。カフェに到着したころにはもう当たり前だがメンバーさんもメジャーレーベルのスタッフさんも揃っていて、心身ともにぐしゃぐしゃになったわたしはもうとにかくひたすら謝ることしかできなかった。あんな余裕ぶっかましといてまじでカス!とその後1ヶ月ほど自責の念に駆られ続けていた。
都会のトラップという洗礼を受けたわたしは、遅刻を異様にビビるようになり、1時間前に取材場所の最寄り駅に着くという病的なほどまでに余裕を持った行動をとるようになった。初めて行く場所は1.5時間前に着いてしまうことがしばしばだった。そして編集さんもそこから1年くらいは最寄り駅で待ち合わせしてくれるようになった。
ミスによる遅刻はこの1回。あとは人身事故に巻き込まれてインタビュー取材に10分遅刻をしたことが1回ある。あと、家を出てから渋滞に巻き込まれ、電車に乗り遅れてしまって、遅刻の瀬戸際だったことが1回。そのときは新宿駅の小田急線ホームからりんかい線ホームまでというまあまあの距離を1分強で乗り換えられたらぎりぎり間に合うという、乗換案内アプリが絶対に推奨しない乗り換えタイムにすべてを賭けた。端から端まで全速力で走った結果なんとかぎりぎり間に合ったが、ふつうに構内歩いてる人にとっては迷惑極まりない。走っている最中も出来る限り人ごみを避けて、「本当に申し訳ない!」と脳内で念仏を唱える心持ちだった。
極めつけとして、取材に行くことができなかったことが1回ある。去年の6月19日、踏切事故に巻き込まれてしまった。
本厚木-愛甲石田間の踏切で立ち往生していた乗用車と、新宿発小田原行き下り快速急行が衝突し、先頭車両が脱線した事故。わたしはちょうどその区間内を走っていた上り電車に乗っていて、愛甲石田駅を出発したばかりだった。
電車は20分ほど線路で停車したあと、愛甲石田駅へと戻った。小田急線のほかに電車が通っていない駅。「本厚木までタクシーかバスか徒歩で行くか? それとも下り電車に乗って小田原まで戻ってJR移動するか?」と悩んでいると、送電の関係で下り電車は愛甲石田の手前の伊勢原駅で折り返すという。新宿方面は新宿から本厚木まで折り返し運転とのことで、愛甲石田駅は陸の孤島になってしまったのだ。身体が石になって砕けそうだった。
駅の外に出てみると本厚木駅行きのバスもタクシーも長蛇の列で、自分の番が回ってくるのもいつになるかわからない。取材場所が下北沢駅のすぐそばだったため、この日はたまたまずかずか歩くには無理があるパンプスを履いていて、土地勘のない本厚木駅までの3.2kmの道のりを歩くのは1時間くらいかかってしまうと推測できた。
この時点で電車が停車してから30分が経過。編集さんに連絡を取ると、アーティストサイドの取材時間の後ろ倒しはMAX1時間だという。となるとあと30分後には本厚木から下北沢に向かう電車に乗っていなくてはいけない。間に合うか間に合わないかギリギリのラインーーいや、高確率で間に合わない。本当に申し訳なかったが、リスケしてもらうことにした。
けっきょく取材場所に行けず交通費は無駄になるだけでなく、愛甲石田から伊勢原までのバス賃もかかり、わたしはリスケによってかなり過酷なスケジュールを組むことになり、新しい取材場所はだいぶ遠方になり、その後アーティストさんと編集部さんには菓子折りを持って謝罪。お相手にご迷惑を掛けただけでなく、自分にもけっこうな負荷がかかってしまった。「早め早めの行動を気をつけたのに」という被害者意識もある一方、アーティストや編集部さんから見るとわたしは加害者。行き場のない感情でずっともやもやしていた。
その電車が順調に動いていたら、取材開始時刻の40分前に下北沢に到着する予定だった。本当は20分前に着く電車に乗る予定が、1本早い電車に乗っていたのだ。お相手に迷惑を掛けないために早め早めの行動を気をつけたせいで、とんでもない落とし穴にピンポイントでハマってしまった。まったくもって不運だった、としか言いようのない出来事。アーティストに菓子折りを渡したときに「やったー」と笑顔で喜んでもらえたことが唯一の救いだ。スマイルプライスレス。
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