コントユニット・モノスグランデ小山耕太郎の「コラマず」第7回 ~リズムと学習の難~
コントユニット・モノスグランデ小山耕太郎の「コラマず」
第7回「リズムと学習の難」
僕には2歳半になる息子がいる。目が2つ、鼻が1つに口4つの普通の男の子だ。
そんな彼をみていると色々な発見がある。僕が私立恵比寿中学のライブDVDを見て踊っていると、テレビの前を陣取って踊り出す。踊ると言ってもボックスを踏んだりはしない。ひたすらに手を頭の横まで上げてブンブン振り回すだけだ。
しかし、これを誰に教わるでもなく自然にやりはじめるのだ。人間は音楽を学ぶよりもずっと前に、音楽を楽しむ手段をもって生まれているような気がする。
最近では僕が車内で歌うと、後部座席から息子が追ってくる。輪唱スタイルで追ってくる。でもまだ言葉をしっかり喋れないので語尾だけ言ってみたり知ってる単語だけデカめに歌う。なぜか星野源さんの「くせのうた」の最後が気に入ったようで自慢するように
「きみの〜、くしぇあ〜、なぬかぬら〜いハッハー!」と歌っている。
正しくは「きみの癖はなんですか」だ。歌というのは、メッセージを伝える一つの手段である。そういう意味で歌詞を軽視する息子は駄目だ。逆阿久悠だ。
子供と音楽。この関係はきっと、大人になった僕らと音楽の関係では作れない何かがありそうだ。例えば僕らが音楽を聴くと、アンカー付けされた思い出が蘇るトリガーになる。初めて聴く音楽は、好きかそうでないかをまず判断しようとする。
子供は音楽を聴いた瞬間、何か判断をしようとはしていないのではないか。そもそも、音楽に対して優劣つけるというのは僕らが生きてきた中で売上枚数による順位を目にしてきたからかもしれない。洗脳に近いものがあるのではないか。
今こそ、洗脳から抜け出して子供の頃の耳で音楽を楽しむべきかもしれない。そうすれば全ての音楽をもっと自由に楽しむことができる!
そう。プロボクサーが入場曲に「ふるさと」を使ってもいいのだ。体操の吊り輪の演技中に中島みゆきの「糸」を流したって構わない。力士が塩投げるタイミングでセックスオンザビーチを流しても僕は全然大丈夫だ。そもそも相撲を見ないからだ。
子供の頃聴いた音楽は、今も自分の中に生きているだろうか?じゃあ、僕と最も付き合いの長い音楽はなんだろう。思い返してみるとなかなか難しいが、たぶんこれかなという音があった。
心臓音だ。
僕らは音と共に生まれ、僕らの最期と共に音も鳴り終わる。なるほど。音楽の魅力はきっと、寄り添い方にあるんだなぁ。
僕が死ぬ時は、心臓から「シャーン!」みたいなシンバル音を出して死のうと思います。ビックリさせて、あわよくば恐がりの友人らを道連れです。
シャーン!
小山耕太郎
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