長く音楽を続けたい――歩みを止めず進み続けたBrian the Sunの10年(前編)
長く音楽を続けたい――
歩みを止めず進み続けたBrian the Sunの10年(前編)
L→R
田中 駿汰(Dr)
白山 治輝(Ba)
森 良太(Gt/Vo)
小川 真司(Gt)
取材・文:沖 さやこ
撮影:イトウ ユキ(website)
協力:LIVERALLY
大阪出身の4ピースバンド、Brian the Sunが2017年5月に結成10周年を迎える。高校1年生で森 良太と白山治輝が組んだ前身バンドから数えると約11年となるバンド人生。彼らは2016年にEPIC Records Japanよりメジャーデビューを果たす。結成9年目のメジャーデビューゆえ「遅れてきたルーキー」と呼ばれることも多かった。だが本当に彼らは遅れを取っていたのか? 自分たちのペースで進んできただけなのではないか? そしてメジャーデビューするまでの10年間、バンドはなぜ歩き続けることができたのか。今回ONE TONGUE MAGAZINEは開設2周年企画として、Brian the Sunの10年間の歩みを前後編でお届けする。前編では2009年までの、森と白山が本格的にバンドを動かしていくまでのエピソードを訊いた。
Brian the Sun(ブライアン・ザ・サン)
2007年5月、大阪にて中学の頃から音楽活動をしていたVo.&Gt.森を中心に同じ高校の軽音部だったBa.白山とバンドを結成。2008年夏にメンバーで「閃光ライオット2008」決勝に出場、準グランプリを獲得。その後、何度かのメンバーチェンジを経て、2010年1月にGt.小川、2011年4月にDr.田中が加入し現在のメンバーとなり、本格的に活動を開始する。2012年7月に初の全国流通盤となるシングル『Sister』をリリース後、東阪のレコ発ワンマンを成功させるなど、インディーズシーンにその存在感を示す。2013年からはSPACE SHOWER MUSICと契約し、活動の幅をさらに拡げ、2枚のミニアルバム『彼女はゼロフィリア』『シュレディンガーの猫』と2枚のフルアルバム『Baked Plum Cake』『Brian the Sun』をリリース。全国規模でのリリースツアーや、各地でのフェスやサーキットなどへ数多く出演。ライブを中心に精力的に活動。2015年には「スペースシャワー列伝 JAPAN TOUR 2015」への出演も果たし、バンドとしての実力と実績を確実なものとした。2016年1月、ソニーミュージックレーベルズのEPICレコードジャパンと契約。6月1日に発売となるメジャーデビューシングル『HEROES』は、集英社「週刊ジャンプ」にて連載中の大人気漫画「僕のヒーローアカデミア」のTVアニメ(MBS系全国28局ネット)のエンディング曲に大抜擢。メジャーデビュー日の翌日 6 月 2 日からは、全国 18 か所で行われるライブツアー “Brian the Sun TOUR2016「HEROES」”をスタート。全国各地での大型夏フェスにも参加した。続く9月6日にはセカンドシングル『Maybe』をリリース、この楽曲は、講談社『good!アフタヌーン』にて連載中の漫画「甘々と稲妻」のTVアニメ(MXTV、読売テレビ他)のエンディング曲として採用され、10月から11月にかけてはシングル『Maybe』のリリースツアーとして全国6か所での対バンライブを敢行。2017年1月11日には、メジャー1stフルアルバム『パトスとエートス』をリリース。表題曲「パトスとエートス」は、TBSテレビ「SUPER SOCCER」のエンディングテーマに決定している。
(オフィシャルサイト/オフィシャルTwitter/オフィシャルFacebook)
◆「ほんまに音楽やってんねや。こいつすごいやつや」と思った
――10年前の2006年、森 良太さんと白山治輝さんが同じ高校に入学し、前身バンドを結成したときのことを教えていただけますか?
白山治輝(以下、白山) 公立の普通科に入学した俺と良太が同じクラスになって。上級生が学校案内をしてくれるというときに、とりあえず仲良くなれそうな空気が出ていた男の子10人のなかに俺も良太もいたんですよね。そのときにグループ内で「どこの中学?」とか「どこのクラブ入る?」という話題になって、良太が「俺は中学からギターを弾いていて、オリジナル曲の自主制作CDがある。なんばHatchに立ったことがある」と話していて――俺は「この子は友達を作りたくて嘘を言ってんねや」と思ったんです(笑)。
小川真司(以下、小川) あははは!
森 良太(以下、森) そんな「なんばHatch立ってんねん」てスカした言い方はしてへんと思うけど(笑)。
白山 良太が中学時代に受けたコンテストの会場がなんばHatchやったらしいんですけど、「森 良太というシンガーソングライターがなんばHatchを埋めている」と解釈してしまった僕はその発言を完全に疑っていて(笑)。次の日、良太は自分のCDを持ってきてくれて、僕以外のみんなも「わ、ほんまに音楽やってんねや。こいつすごいやつや」と思うんですよね。良太のライヴもみんな「行く行く行く!」言うて、1500円のチケットを買いました。FANJ twiceというライヴハウスの弾き語り。高校1年生の僕からしたら、アコースティックギターを弾けてること自体でもう天才なんですよ(笑)。それで「こいつはすごい!」と思ったんですよね。
――軽音楽部に入ったのはそのあとなんですよね。良太さんは既におひとりで活動できていたのに、なぜ軽音楽部に入ろうとお思いに?
森 あー、なんでやろ。単純に遊びやったかなあ。
白山 良太はずっと弾き語りは弾き語りでやっていたので、高校でクラブ活動をするという自然な流れでバンドを始めたんやと思います。僕は中学で野球を、良太は柔道をやっていたんですけど、うちの高校はそんなに野球強くなかったし、良太も体験入部で柔道部に行ったら――。
森 ――部員少ないし、俺がいきなり部のなかでいちばん強いやつになってもうて。
白山 それもあってふたりとも軽音楽部に入ったんですよね。僕はギターヴォーカルがやりたかったし、良太はもうシンガーソングライターとして活動してたから、俺は「良太とは別でバンドを組むしかない」と思うわけです(笑)。その体験入部の最終日に良太に「メンバー見つかった?」と聞いたら、「あとはベースだけやで」「いま集まってるメンバーみんなでとりあえず明日楽器買いに行くねん」と楽しそうに話していて……僕はひとりのままやったんで、それが羨ましくて羨ましくて、ものすごくきらきらして見えて。そこで僕のギターヴォーカルへのプライドが全部バッキバキに折れて(笑)、「ベースでいいので入れてもらっていいですか?」と頼みました。それが前身バンドですね。
森 あれでお互い運動部入ってたら、また(白山との関係性も)ちゃうかったんやろなあ。仲いいとか悪いとかにもならず、接点すらなかったと思う。
白山 うん、高校卒業した瞬間から連絡取らなくなるパターンやな。いちばん最後のザコキャラみたいな感じで加入した僕も、活動が始まってからはそれなりに中心メンバーになっていたと思います(笑)。
森 なんでそんな後ろめたい感じやねん(笑)。
――治輝さんとしてはお邪魔させてもらったという意識があったのかもしれないですね(笑)。前身バンドはどんな編成だったんですか?
白山 良太入れてギターが3人おったんですよ(笑)。良太、ギター、ギター、ドラム。
森 だって(そのメンバーたちが)「ギターやりたい」って言うから(笑)。
白山 だから良太がそのふたりのどっちかに「ベースしろよ」と言ってたら、僕はバンドに入れてないかもしれないんです。