生まれた場所に何かを返したい――cinema staff 三島想平が語るDIYな自主企画フェス「OOPARTS」の未来(前編)

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生まれた場所に何かを返したい――
cinema staff 三島想平が語るDIYな自主企画フェス「OOPARTS」の未来(1)

取材・文:沖 さやこ

 

岐阜のライヴハウスCLUB Gで、2013年に初回が開催、2014年にも第2回目が開催され、秋の岐阜の風物詩となっていくのではという期待が高まる、cinema staffの自主企画フェスティヴァル「OOPARTS」。岐阜はcinema staffのメンバーのうち3人の故郷である。地元で音楽を始め、力を蓄え、現在は東京でさらに活躍をするバンドが、故郷への恩返しとして開始したこのOOPARTSは、cinema staffのメインコンポーザーでもある三島想平が代表となり、彼自身が様々なところまで携わり作り上げている、まさしく「自主企画」なDIYフェスだ。2年連続でソールドアウトを記録。三島が「バンドと同じように、できるだけ長く続けていきたい」と語るこのOOPARTSというフェスは、彼のライフワークにもかなり大きな存在となっているだろう。今回彼にOOPARTSにかける想いや、運営にまつわる課題、そして未来を語ってもらった。その模様を前・後編でお届けする。

 

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飯田瑞規(Vo/Gt)、辻 友貴(Gt)、三島想平(Ba)、久野洋平(Dr)からなる4人組ロックバンド。2003年に飯田、三島、辻が前身バンドを結成し、2006年に久野が加入して現在の編成となる。愛知・岐阜を拠点にしたライヴ活動を経て、2008年11月に1stミニアルバム『document』を残響recordからリリース。アグレッシブなギターサウンドを前面に打ち出したバンドアンサンブルと、繊細かつメロディアスなヴォーカルで着実に人気を高めていく。2012年6月にメジャーデビュー作となる『into the green』をポニーキャニオンより発表。2013年8月、テレビアニメ「進撃の巨人」後期エンディングテーマを含むシングル『great escape』がスマッシュヒットを記録。同曲を含むニューアルバム『Drums,Bass,2(to)Guitars』を2014年4月にリリースした。
オフィシャルサイトTwitterFacebook

 

DIYでイヴェントを運営するのはクリエイティヴなこと

――もともと三島さんがOOPARTSの青写真を描き始めたのはいつごろだったのでしょう?

岐阜に住んで音楽活動をしているときから「岐阜でいちばんになりたい」と思っていて。……当時はとにかく自己顕示欲のかたまりだったので(笑)、「どうじゃー! どや!」みたいなことを岐阜でできないかなと漠然と思ったんですよね。それから残響recordと出会ってCDを全国流通するようになって、ポニーキャニオンからメジャーデビューをして……その頃に「もしかしたら、いまだったら岐阜で大きい規模でイヴェントを打ってもお客さんがついてきてくれるかな」と。自分の気持ちにもゆとりが出てきた時期でもあったので。

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三島想平

――三島さんはブログに「故郷を愛することに理由はない」と書いてらっしゃいましたが、それはやはり三島さんが岐阜でいい時間を過ごせたからだと思います。

そうですね、やっぱり「どういう場所に生まれた」というよりは「人」だと思うんです。岐阜には自分が影響を受けたものがたくさんあって――やっぱりいちばんは、バンドをやっている先輩の存在ですね。「こんなふうになりたい!」と思ってずっと音楽をやっていたので、「岐阜にいたから今の自分がある」というのは、岐阜にアミューズメントスポットがなくとも(笑)、事実です。だから「岐阜に何かを返したい」という気持ちはずっとあって。自分が生まれた場所が岐阜でなくても、故郷に何かを返したいとは思っただろうな、というのは最近特に思いますね。

――OOPARTSは「岐阜に行ってみたい」という気持ちは勿論、「ちょっと自分の地元に帰ろうかな」という気持ちも湧いてきますからね。三島さんのそういう気持ちがリスナー側にも伝わっていると思います。2013年に記念すべき第1回目が開催されましたが、具体的なイメージはいつごろから出てきたのでしょう?

僕は2012年にやるつもりだったんです。でも当時のマネージャーに「まだ早いんじゃないの?」と言われて、その年は見送って。でもそのときから「岐阜でいちばんのキャパシティを持つCLUB Gで、1ステージ。最終的にはもっとでかくしたい」とは思っていました。あと「出来る限りDIYやろう」というテーマも大きかったので、最初から2ステージとか、2個ハコを使うみたいな欲張ったことをしても、ノウハウもないし手が回らないなと思って、まずはCLUB Gで1ステージで始めました。

――「出来る限りDIY」でなくてはいけなかった?

というよりは、「岐阜の人たちだけで作っていこう」「岐阜の人が自ら率先して動いていこう」ということですね。代表の僕が岐阜に住んでいないので、僕がプランを作って岐阜に住んでいる人にお願いをするほうが、単純に仕事がしやすいし、ラクだなと思ったんです。それにいまはレーベルも事務所も「どうぞやってください」と言ってくれるので、それなら自分たちでやるほうが財産になると思ったんです。あと、すっごいでかい文化祭みたいにしたかったんで(笑)。イベンターを噛まさず、仕込みも自分たちでやったほうが反省点もしっかりわかるし。それはクリエイティヴなことなので、面白いですよね。

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