就職できなかったフリーランスライターの日常(10)

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就職できなかったフリーランスライターの日常(10)
名前を呼ばれる

自分の名前が好きだ。凡人のわたしの唯一ちょっと変わっている部分でもあるし、なにより名前を呼んでもらえることを特別なものだと思っているから、なおさら自分の名前が好きなのだ。顔は知っているけれど直接喋ったことがなかった専門学校の同級生から「おっきー」と呼んでもらったとき、すごくうれしかった。名前を呼んでもらえると、居場所をもらったような気持ちになる。

音楽ライター・C氏のアシスタントをしていたとき、とあるバンドのライヴに連れていってもらった。当時のわたしはまだまだ対人恐怖症持ちの引っ込み思案で、C氏の金魚のフンとしておどおどしながら慣れない現場に足を運んでいた。C氏はすごく面倒見のいい人で、わたしのことを中打ち上げでアーティストに紹介してくれたりもした。するとアーティストもこちらを見て頭を下げるか、海外でも活動しているバンドマンは握手の手を差し出してくれる人が多かった。わたしといったら情けないことにそのスマートさに気圧されながら、震える手を差し出して小声で「はじめまして」と言うのが関の山だった。

この日C氏と観に行ったのは、中学時代から聴いていたアーティストのライヴだった。いつもどおりC氏の金魚のフンとして中打ち上げに参加した。中学生の頃から聴いているアーティストを目の前にして、対人恐怖症のわたしはどうしたらいいんだろうか……と不安でどきどきしていた。

C氏がそのアーティストと談笑をしていると、話がひと段落ついたところで「紹介させてもらっていい? わたしのアシスタントをしてくれてる沖です」と、そのアーティストに紹介してくれた。いつもどおりおどおどしながら「沖と申します」と言おうとしていた。だがその前に、急にそのアーティストがわたしと真正面になるように自分の身体を向け「沖さん!」と言った。

okicolumn10驚いた。中学時代から知っているアーティストが、急にこちらを向いて、わたしの目を見てわたしの名前を呼んでいる。パニックになり条件反射で目を見開き動揺120%で「ハイ!」と答えた。するとそのアーティストは「はじめまして。○○(バンド名)のヴォーカルギター・○○(フルネーム)と申します」と言いながら右手を下方でひらりと仰ぎ深々と頭を下げる。わたしも「は、は、は、はじめまして! 沖と申します……」と言い頭を下げると、目の前のアーティストは握手の手を差し出した。気が動転していて、手の感触はまったく覚えていない。

2009年の終わり。編集部Aにインターンとして出入りするようになってから1年弱くらい経ったときだった。初めてアーティストから名前を呼んでもらった。中学時代から聴いてきたバンドのフロントマンが自分の名前を呼んでくれるなんて夢のような経験だったし、それ以上に音楽の世界で10年以上活躍している人から名前を呼んでもらえるというのは、音楽業界の一員として少しだけ認められたような気がした。アシスタントに対してもあんなに丁寧な応対をしてくれたそのアーティストの人柄にも感動したが、いま思うとそのアーティストとC氏に強い信頼関係があったからこそなおさらだったのだろうとも思う。

ライターデビューをして8年半経った。アーティストから名前を呼んでもらうたびに、この日のことを思い出す。9年前のわたしにとって、名前を呼んでもらえることはすごくすごく特別なことで、いまのわたしには当たり前のことでもあり、やはり特別なことだとも思う。「日常的であり特別」というのは、いまの自分の生活すべてに言えることだ。

「自分は夢を叶えることに見合う人間なのだろうか」「この先わたしはこの夢を持続できるのだろうか」と毎日毎日不安を抱えている。でもせっかく夢をいただけたのだから、一つひとつを全力でやっていくしかない。日々感謝を忘れず、謙虚に生きていこうと強く思う。そしてその感謝は過去の自分にも。いまでは耐えられないようなことを、昔の自分は本当によく耐えた。昔の自分の頑張りのおかげでいまこうしていられるし、いまも昔も続けてこれたのは肩書きもキャリアもないわたしを認めてくださった人々のおかげだ。これからも人生をかけてこの仕事をしていく。

(※次回はとうとうライターデビューの話に入ります! 3月から月イチで連載してきてまだライターデビューの話題にまで至ってないという事実に驚愕しておりますが、来年もゆったりエッセイもどきの過去回想を書いていきます。もちろん周りのみなさんのご迷惑にならないように書いていくのでご安心ください!)

illustration 沖 丈介(@jyosuke_desu

就職できなかったフリーランスライターの日常 過去ログ

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