就職できなかったフリーランスライターの日常(11)
就職できなかったフリーランスライターの日常(11)
ライターを名乗る
「どうやったらライターになれますか?」という質問に対して、「ライターと記した名刺を作ればもうあなたもライターさ」というお決まりの返し文句がある。たしかにそうだと思う。入社試験を受けるわけではないし、資格が必要なわけでもない。わたしも就職したわけではないし、極端な言い方をすれば「無職が勝手にライターだと名乗っているだけ」とも言える。
ではいつから名乗るようになったのか? まず、時は2010年2月に遡る。なんとなくぼんやりと存在する音楽業界というものの縁に手をかけ、1年が経った頃。実家の宿泊業を手伝いながら駅ナカのカフェでアルバイトをし、音楽ライターC氏のアシスタントとしてテープ起こし、C氏が稼働できなかったライヴのレポートや、ディスクレヴューを書きながら、その合間でちょこちょこと就職活動をしていた。どこから縁がつながるかわからないしライヴハウススタッフから始めてみようか、なんて思ったが「わたしのやりたいことじゃないよなあ……」となかなか踏ん切りがつかない、みたいなことを繰り返していた時期でもあった。
そんな時、わたしを編集部Aに紹介してくれた恩師・K氏から連絡があった。K氏が新しくイヴェントを立ち上げるということで、その開催説明会の案内だった。その説明会に足を運び、顔を合わせた際にK氏から状況を問われその旨を返すと、K氏は「じゃあうちのイヴェントのホームページでレポートを書いたりインタヴューをしたりしない?」と提案をしてくれた。
それから数週間後、イヴェントの参加希望者を対象とした説明会を開催するとの連絡があり、その模様を公式サイトにプレスリリースとして掲載するということで、その原稿の執筆の役目をもらった。
説明会当日、伊豆高原から片道5時間弱掛けて鈍行で高田馬場へ向かった。人生で初めての高田馬場。会場は業界関係者だらけで、それこそ自分が好きなバンドたちを発掘した超やり手の有名人もいた。ゆえ緊張に緊張を重ねていて、そんななかスタッフの紹介をするというターンがあった。そこでK氏はわたしを「ライターの沖さやこさん」と紹介した。会場中の視線がわたしに集まる。その瞬間、全身の血が沸き立つくらい興奮したような、こっぱずかしいような、ライターという言葉が自分に重すぎて逃げ出したくなるような、いろんな気持ちがない交ぜになって生まれた高揚で、自分が推し潰れそうになったことをいまでも覚えている。
それまではアシスタントとして記事を執筆していたので、ライターとしての職務も持ちながら、自分がライターだという実感がなかった。ライターと名乗っていいんだ、と教えてもらったような感覚だった。それが2010年5月。どこをライターのスタートと考えるべきかは悩みどころだが、わたしは第三者から「ライター」と紹介してもらったこの時期をスタートとしてカウントしている。
ちなみに初めてお金をもらって書くようになったのは2010年7月で、アルバイトを辞めたのが2016年11月。バイトを辞めるまでに6年以上かかった。小学1年生が中学生になっているし、小学校6年生は大学生になっている。おまけにそのバイトを辞めたのも経済的に安定したからとかそういうわけではなく、怒り紛れにバイトを辞めたあとにバイトを始めるきっかけがなかった、といううだつの上がらない理由だ。
やってきたことが実を結ぶのは、本当に本当に時間がかかることだ。ライターデビューして3年経ったくらいの頃、書かせていただける媒体が増えないことにコンプレックスを感じていたし、毎日のように病んでいたが、いま思えば3年くらい仕事がそこまで多くないなんて当たり前のことだし、キャリアや肩書がない人間にあれだけいろんなチャンスが舞い込んでいたことに感謝がなさすぎて傲慢で恥ずかしくなる。でもそう思っていたのも他人と自分を比較していたからだ。20代半ばを過ぎて周りの同年代は結婚するだけでなく、車や家を買うようになってきて、いまだに夢を追ってアルバイトをしている自分はつねに惨めな気持ちを抱えていた。くだらないプライドだし、でもそのプライドのおかげで踏ん張れたところもある。
ライターデビューをしてからが、本当の苦悩の始まりだった。いまのわたしなら耐えられないであろうことを、過去の自分はよく耐えたと思う。世の中には成功する前に辞めてしまう人が多すぎる。それは続けることを難しく考えすぎているからだと思う。極端な話、辞めなければ続けていける。夢を追っていると順調にひょいひょいと上に進んでいく人が目につくが、そのペースが異常なのだ。ライターと自称すればライターになれるように、書いていなくてもライターを辞めたと言わなければライターを続けているということでもある。屁理屈かもしれない。でもその屁理屈で心が少しラクになるならば、前に進もうと思えるのならば上等ではないか。
そんな偉そうなことを言いながら、わたしもバイトを辞めたあたりまでの6年間、毎日のように「もう辞めないとだめかもしれない」と思っていた。そんなエピソードもこの先綴っていければと思っている。
illustration 沖 丈介(@jyosuke_desu)
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