女王蜂 【売春】
読者さんやアーティストさんからおすすめしていただいたMVを毎日紹介する「紹介されたMV紹介チャレンジ」DAY 17は、ろびんさんからのおすすめで2015年5月に公開された女王蜂のMVです。
同曲は2015年3月にリリースされたアルバム『奇麗』に収録され、のちに【売旬】というタイトルで篠崎愛さん、志磨遼平さんとのデュエットヴァージョンが配信限定でリリースされています。そもそも【売春】という曲が高音を歌うアヴちゃんと低音を歌うアヴちゃんによる一人二役のデュエットソングなので、その差別化として「春」を「旬」にしてるんでしょうね。おそらくこの曲において「春」はアヴちゃんにとっての「旬」のモチーフなのでしょう。人が旬を売ることで、そしてそれを受け取る人がいることで、この世の中は回っているとも言えます。
【売春】のMVは、ふたりのアヴちゃんが向かい合って歌うシーンをモノトーンで捉えています。ふたりの今にも涙を零しそうな、傷心を思わせる面持ちがとても印象的です。差異があるとすれば、高音で髪の長いアヴちゃんは表情が豊かで、短髪で低音のアヴちゃんは鋭さが表立っている。アヴちゃんのなかにある女性性と男性性の裸の部分を浮かび上がらせたものなのかな、と思いました。爆発していない、隠されているからこそ本質に触れられるというか。
ふたりの視線の先にはお互いの姿。ノーカットで、ただただずっとお互いを見ているという構図です。人間は身体という器のなかに異なる成分を持つ自分を飼っていて、そのどれかが顔を出すときもあれば、そのうちのふたつが重なり合っているときもある――映像の影響から、自然と歌詞の内容もアヴちゃんの自問自答のように響いてきます。
モノトーンの映像と歌詞、アヴちゃんの声で構成されたヴォーカルワーク、淡々としたエレクトロニックなサウンドなど、アヴちゃんのディープな部分に入り込んでいくような感覚が、心地よくもあり胸を切り裂かれるように切なくもあります。人の人生に触れるとは、きっとそういうことなのでしょう。すれ違ったあとに視線を合わせない物憂げなラストシーンも、美しさと悲しさの両方を孕んでいます。
ラスサビ前の《一刻も早くここから抜け出そう》という歌詞以降、感情の描写が明確になっていきます。《笑い合う日々は 今日で最後だと/頭の中に刻み付け いつも結末だらけで嫌に成る》というラインが、アヴちゃんが自分の旬を「春」と言う理由のひとつなのかな、なんて思いました。「春」は終わり、始まり、別れ、出会い、芽吹き、幸せ、ピーク、性的欲望などなど、様々なモチーフとして扱われる魅惑の季節ですね。
そしてやはり、女王蜂というバンド、そしてアヴちゃんという存在は、大きすぎて凡人のわたしには手に負えないな……とつくづく思いました。歩んできた人生と、そこで培い続けた感性知性から生まれる色気に息を飲むし、ただただ圧倒されます。ろびんさん、おすすめありがとうございました!(沖 さやこ)
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