コントユニット・モノスグランデ小山耕太郎の「コラマず」第3回 ~コントと音の難~

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コントユニット・モノスグランデ小山耕太郎の「コラマず」
第3回「コントと音の難」

 

コントにおける音楽の役割と言うのは、もちろんコントを演出する方法のひとつとして使われる場合がほとんどです。僕自身がコントをする時は、コント中に流すことはあまりありません。というのも、お客さんの感情の行く先を結構強制的に動かすことが出来るからなんですね。

例えば、コントのセリフで「さよなら」を言うとします。そこで音楽をかける。寂しい曲調ならば、本当に「さよなら」であるとお客さんはすぐわかるわけです。アップテンポな曲をかければ、きっと希望をもった「さよなら」だと思うわけです。しかし演歌なら、角刈りサングラスが波止場で女に「さよなら」なんだなと感じるのです。

monosgrande3つまり、コントで音楽を使うことは演出として効果的ではあるけど、そこに頼ってしまうと脚本としての緻密さに欠けるという側面があるのです。僕としてはコントを作るときには説明しすぎず、いかに状況と心情を見せることが出来るか。そして、それらの情報を考察する少しの余白をあえて残すことで、観る側の楽しさか増すものだしコントの価値も上がるのだと思います。

とは言っても、演出に音楽を使ってはいけない訳ではありません。例えば期待値を上げるような、段々とテンポが上がっていく音楽をかけてその音楽が止まった瞬間、その緊張を崩すようなセリフを言えば笑いになる訳です。これは、音楽をフリに使うわけですね。

音楽は、僕らの生活に強く根付いているものですから強いイメージ力があるのです。映画なりドラマなり、音楽によってイメージを湧き立たせるコンテンツはたくさんあります。それらを小さい頃から見聞きしてきた事で、ある種の概念に近い意識への植え付けがあるからそれだけで十分なフリとなります。これは、人の歴史に音楽があることの簡単な証明にもなりますね。

だから、たぶん昔からあったと思います。縄文人の男達が村に帰ってきて、陽気な音楽を散々披露して全てが終わった瞬間「狩りの収穫ゼロでした」と頭下げたら女達に豆を投げつけられて爆笑みたいな流れが。

uruuそう言えば、僕は以前に音楽とコントの調和を見た事がありました。それは、コントユニットラーメンズの小林賢太郎さんがソロコント舞台「うるう」を披露された時です。僕も生で見たのですが、舞台上には小林賢太郎さん。そして舞台端にはチェロ奏者がいるんです。動きの効果音や劇中歌がチェロの生演奏なのです。これは凄かったです。コントにおいては別に生じゃなくても良いんですけど、生の緊張感や、コントを観に来ているお客さんにはパフォーマンスとして既視感が起こり得ないという演出としては素晴らしかったです。

と、まぁこんなところが音楽とコントの関係性ではないでしょうかぁ! 楽しかったでぇす! それでは聴いてくださぁい!

さだまさし で「償い」

モノスグランデ小山耕太郎

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