長く音楽を続けたい―― 歩みを止めず進み続けたBrian the Sunの10年(後編)
◆音楽を作ることでしか前に進めない
――2ndフルアルバム『Brian the Sun』収録の【13月の夜明け】や、2015年リリースのミニアルバム『シュレディンガーの猫』収録の【シュレディンガーの猫】はFireloopに出演し始めた2007年からあった曲でしたよね。
森 この年にドラマーが抜けて、治輝と俺しかメンバーがいない時期があって。ふたりでも成立するリフ押しの曲を、と考えて作ったのが【13月の夜明け】なんです。
白山 ふたりでFireloopでライヴをしたことも何回かあって、「The White Stripesみたいするしかないなあ」と思ってドラムを前に出して僕が叩いてみたり(笑)。そのころに【君の声】もやってたし、【Cloudy #2】(※2017年リリース予定『パトスとエートス』収録)もほとんど同じようなアレンジでライヴしてたときもありました(笑)。
――普通なら「これじゃライヴできない!」と活動が止まってもおかしくない状況だと思うのですが(笑)。それでも止まらなかったバイタリティはどこに?
森 「次のライヴのこと」だけやったんですよ、マジで。次のライヴが入ってるからやるやないですか。ライヴ終わったらライヴハウスの人が「次どうしよか~。この日どう?」てブッキングするんすよ。
小川 歯医者の予約みたいやな(笑)。
森 ほんまそんなもんや(笑)。「やめときます」て言うても「月イチくらいはライヴやっとかんとな!」て言われる。
白山 「どうせヒマやろ? じゃあ出とけ」って(笑)。Fireloopはお客さんがいっぱい入るイベントに当ててくれてたんですよ。高校生のときも大体20人くらいは呼んでて。
小川 それもすごい話やな。
――この4人が揃ってすぐくらいに、一度メジャーデビューの話が出たそうですが。
白山 そのときは高校生のときと違ってバンド活動も本格化してたし、売れていったバンドも見てきて、自分らの実力をある程度客観視できてたかなとも思うし。メジャー行って数年でいなくなったバンドがいるのもわかってたし、人生設計として「自分たちの実力がない状態で行ったらあかん場所やし、いま行くことが果たして正しいのか? メジャーデビューがゴールなのか?」と考えていたし――それでそのときは「いまじゃないな」という結論を出しました。
小川 しかもインディーズですべて自分たちでやっていて、自分たちの好きなことをやっていて、動員もちょっとずつ増えていって……と自分たちの活動に手ごたえも感じられてたのもあったし。
森 (話がなくなって)頓挫したとも思わんかったしな。まあまた機会があればええかと。
――それが駿汰さん以外の3人が21歳のころ。大人になってみるとその年齢はまだまだなんでもできる、焦る必要はない無限の可能性だらけの時期だと思うのですが、21歳は短大や専門学校卒の人たちは社会人1年目、大学生は就活の時期だったりと、同年代がそれぞれの道を歩みだすゆえ、どうしても焦りを抱える時期だと思うんです。
白山 マジっすか!?(笑) もちろん僕らも「どうやったらお客さんがもっと入るんやろ?」とか「この結果を出すためにはどうしたらええんやろ?」と考えることはあるんですけど、「これで結果が出えへんかったら、俺らもう○○歳やしバンド続けるのどうしようかな……」みたいな焦りは1回もなかったです。
小川 インディーズのころから「長く音楽をやれたらいいよね」とは話してて。
――ああ、最初から目指しているものがそこだから、若者特有の年齢に関する焦りはなかったのかな。良太さんはいかがですか?
森 焦り……。生活の全部が「(音楽を)作るため」なので、頭が休まってる暇はいつもなかったですけどね。作ることでしか進めないから。極端な話、更新していくものがない、新しいものが出ない状態でライヴを続けていてもね。そう思ってたからずっと新しい曲は作っていたし、「いい曲作りたいな」とめっちゃ思ってたし。俺の焦りはそれくらいっすね。リミット決めるのも大事やと思いますけど、人それぞれやから。俺は別にそういうのあんまり興味ない。
白山 プロ野球選手やと肉体的なリミットはあるけど、音楽はそういうのないじゃないですか。Paul McCartneyが歌ってるし、小田和正さんが50歳超えてもステージを走り回ってるし。それを考えると俺らいま26で、駿汰は25やから、30年以上音楽できるやん! と思うんです。
>> ちょっと背伸びしながらひとつひとつ活動することができた