ザ・スロットル、自らレッテルを剥がした第2フェーズの“NEW侍ロックンロール”(前編)
◆「この壁をどう越えて行くべきだろう?」と考えて行き着いたのが、キーボードやエレクトロニックなものが入ること
――「次のステップに行くぞ!」とメンバーの気持ちがまとまったあと、前任のベーシストである田上良地さんの脱退が決定する、ということですか?
高岩 そうですね。急にトントンと(田上の脱退が)決まって、2017年5月31日の自主企画が彼のラストステージになりました。
成田 良地が脱退したいと言ったあと、遼と州吾は4、5時間かけて良地に考え直すよう説得したんです。でもわたしは「良地はこうと言ったら聞かないタイプだからな」と思っていたので、その間ずっと「次のベースは誰がいいかな……」と考えていて。そのときポンとひらめいたのが、いまのベースの藍だったんです。
高岩 6月に加入した藍も博貴も、俺らと同じ大学なんですよ。博貴は音響を学んでいて、それ以外のメンバーは全員ジャズ科。アリサさんと良地さんは俺と州吾の2個上の先輩で、藍と博貴は俺たちと同い年なんです。
成田 良地を食い止めることができなかった帰り道に、遼と州吾に「藍に声かけない?」と言ったら、ふたりとも「ああ! そっか!」って。そこから一気に話を進めました。
高岩 藍はジャズマンで、ウッドベースプレイヤーだったんです。僕も個人的にジャズシンガーをしていて、彼はそこでウッドベースとしてプレイしてくれていたんですよね。藍なら俺らとハモるだろうなと思ったし。
――ということは菊池さんにお声が掛かったのも、なかなか急な話でもあったんですね。
菊池 藍(Ba) 4月末くらいに急に「今日空いてる? ちょっと飲みに行こうよ」と呼び出されて、そこで「実は……」と切り出されて。僕はジャズミュージシャンとして活動していくつもりだったので、まず「これからの人生どうしよう!?」と思いました(笑)。でもザ・スロットルは好きでお客さんとしても観に行っていたし、エレキベースのキャリアはなかったんですけど、バンドは好きなのでやってみたい気持ちはずっとあって。こうやって声を掛けてもらえたのは何かの縁だし、何よりすごくうれしくて。チャレンジするしかないと思いました。
――菊池さんが加入する時点でバンドとしては成立すると思うのですが、なぜ飯笹さんによる“Machine”という新しいパートを追加しようと思われたのでしょう?
高岩 俺ら路上のときに、もしかしたらロカビリーと間違われるかもしれないようなライヴをしていたんですよね。お客さんが路上ライヴの様子を撮影した映像をYouTubeにアップしていたりして、そういう印象が強くなっていて。ばりばりのロックンロール!みたいなものは大好きだけど、もともと俺らはジャズ上がりだし、ザ・スロットルでそういうことをしたいわけじゃなかったんですよね。でも俺らが掲げているのは“NEW侍ロックンロール”。「この壁をどう越えて行くべきだろう?」と考えて行き着いたのが、キーボードやエレクトロニックなものが入ることだったんです。アルトサックスとかではなく、もうちょっとアーバンなものにしたかったから。
――そこに白羽の矢が立ったのが飯笹さん。
高岩 こいつこう見えて、地元の新聞でどでかく「天才少年ピアニスト」と載ったことがあるやつなんですよ(笑)。
飯笹 博貴(Machine) それ5歳くらいのときで、ピアノもちゃんと習っていたのは中学生までだから(笑)。大学では音響以外にコンピューター系の音作りのスキルや知識も学んでいたけれど、卒業してからはPAや照明の仕事をしていたし、ピアノもPCソフトも趣味程度だし、バンド活動の経験もなかったので、まさか自分がステージに立つなんて思ってもみなくて。最初は迷いましたけど、声を掛けてもらったので「やってみよう!」という感じでした。でもザ・スロットルには王道のロックンロールというイメージがあったので、音を入れるとしてもピアノやオルガンくらいだろうと最初は思っていたんです。
高岩 博貴はピアノが弾けるだけでなく音響もできるし、PCも使えるし、レコーディングもできるし、耳もいい。これはかなり強みだなと思った。これだけできれば、自分たちのなかで解決できるじゃないですか。
熊田 しかも博貴は超漠然としたイメージで「こういう感じの音が欲しい」と言っても、基本「こういう感じ?」って出してくれるんですよ。
高岩 そうそう。博貴は音楽フリークでミュージックラヴァーだから、いろんな音楽を聴いているんですよね。
――田上さんの脱退が起爆剤になって、ザ・スロットルの音楽性を広げる環境づくりができたんですね。
高岩 音楽はスキルの前に、思想が集まって出来上がるものじゃないですか。田上良地が抜けることで、彼の思想も反映されたザ・スロットルではなくなるから、(音楽性を)変えるならここだ!というタイミングでもありましたね。
熊田 2017年の年明けにはミニアルバムを作ることが決まっていたし、そのあとに良地さんから脱退することを告げられたときは「うわ、メンバーチェンジかー……」と思った。でも結果的には一気に次のフェーズに行けたので、すごく良かったと思いますね。
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新メンバーが加入して急ピッチで進んだアルバム制作
音楽性の変化には様々な意志が影響していた