絶えず変化し続けるロックバンドWOMCADOLE、その原動力の源とは(前編)

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womcadole_2018_1_1絶えず変化し続けるロックバンドWOMCADOLE
その原動力の源とは(前編)

L→R
古澤 徳之(Gt/Cho)
樋口 侑希(Vo/Gt)
安田 吉希(Dr/Cho)
黒野 滉大(Ba)

自分のロックの原体験と言えば、ロック好きの父親が物心ついたときから聴いていたThe Rolling StonesやDavid Bowieだった。特にDavid Bowieは作品ごとに音楽性やヴィジュアル面をがらりと変え、晩年まで音楽への挑戦をし続けた人間でもある。ロックバンドはそういうものだと刷り込まれてしまった自分にとって、滋賀出身のスーパーロックバンド・WOMCADOLEの2016年の活動再開時の「覚醒」は目を見張るものがあった。いったい彼らのなにが、どんな事象が彼らをそうさせたのだろうか。そしてなぜ彼らはつねに変わり続けるのだろうか――それを知るべくじっくりと4人の口からヒストリーを語ってもらった。物語のプロローグは、WOMCADOLEが始まる前の青春の甘酸っぱい思い出で幕を開ける。

取材・文 沖 さやこ
撮影 安西 美樹

 

womcadole_a_photo201811WOMCADOLE(うぉんかどーれ)
樋口侑希(Vo/Gt)、古澤徳之(Gt/Cho)、黒野滉大(Ba)安田吉希(Dr/Cho)の4名からなる滋賀発関西から全国にかけて活動する4ピースロックバンド。初期衝動を遥かに凌駕する速度で瞬間沸騰する4名による爆音。躊躇わずに、最短距離で、オーディエンスの左胸に放たれ続ける樋口侑希の唄を武器とする。2011年結成。精力的にデモ音源のリリースを重ね、全国でライヴ活動をし、2015年8月待望となる全国流通盤「ワタシノハナシ」をリリース。2015年12月メンバーの脱退によりバンド活動休止。2016年7月1日、ベーシストに黒野滉大を迎え活動再開。完全会場限定Sg『ワンダー/オモチャの兵隊』を携えて全国でのライヴ活動を行う。2017年1月11日に2nd mini Album『15cmの行方』をリリース。リリースツアー「俺らは生きているんだツアー」はバンドのホーム滋賀B-FLATワンマン公演、ファイナルの東京下北沢SHELTERワンマン公演などソールドアウト公演を連発して盛況に終えた。9月には初シングル『アオキハルヘ』を、2018年3月には1st FULL Album「今宵零時、その方角へ」を発売。春から夏かけてリリースツアー「己の心に吠えろよツアー」を開催し、ファイナルの東京ebisu LIQUID ROOM公演はかつてない熱狂を引き起こした。次なるアクションが注目されるなか、11月28日には2ndシングル『ライター』を発売し、東名阪CLUB QUATTRO公演を含む「己の炎を絶やすなツアー」を開催する。
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◆フライヤーにセットリスト書いて、近所のコンビニに「貼ってください」ってお願いして(笑)

――WOMCADOLEの結成は2011年5月。当時高校1年生だった樋口さんと、高校2年生の古澤さんが地元駅で再会したことがきっかけだそうですね。まずその再会に至るまでのエピソードを聞かせていただければと。

樋口 侑希(Vo/Gt) のりぴー(古澤)とは中学時代のサッカー部の先輩後輩で。

古澤 徳之(Gt/Cho) 樋口とは家が近くて小さい頃からよく遊んでいたんです。樋口が中学に入学してサッカー部に入ってきたあたりで、僕が親友とギターを始めまして。それで樋口に「最近ギター弾いとるんよ」みたいに話したら、樋口はドラムをやっていたんですよね。そこから話が膨らんで、僕がギターヴォーカル、樋口がドラムのコピバンを組んだんです。

樋口 近所の公民館の1室をスタジオにしたくて、字(あざ)のお偉いさんに交渉しに行ったんです。そしたら「いいよ」と言ってもらって。

古澤 高校2年生あたりまでそこで練習したりしてました。まずはお金ないから機材も寄せ集めみたいな感じで、ベースアンプだけ異様にでかいっていう(笑)。

樋口 バランスもクソもない(笑)。

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(L→R)樋口侑希、安田吉希、黒野滉大、古澤徳之

古澤 樋口の家にあった安いドラムセットを持ち込んで、まずはBUMP OF CHICKENの弾けない曲を練習する会みたいな感じでした。樋口ドラムやのに自分のギター持ってきて、ベースも自分のギターを持ってきて――。

樋口 【ラフ・メイカー】(※BUMP OF CHICKEN 2000年9月リリースのメジャーデビューシングル『ダイヤモンド』収録)をメンバーみんなギターで一斉に弾くからドラムとベースが鳴ってないっていう(笑)。

古澤 でもそれも1ヶ月くらいで飽きちゃって「僕ら曲も作れへんのにどうすんの?」という話になって。そのコピバンと僕の姉のバンドとで、公民館でツーマンをしたりしてました。

樋口 俺が中2でのりぴーが中3のとき、「中学最後になんかしたいよな」ってことでワンマンライヴをしようと思って、公民館のホールを貸してもらえないかお願いしに行って。

――なにをやるにも町ぐるみ(笑)。バンド名は決まっていたんですか?

womcadole_2018_1_3樋口 最初はFRANKFURTやったんですけど、途中からFRANKになりました。Tシャツとかも作りましたね。手書きで「FRANKワンマンライブ開催決定!」と書いたものをA4の紙に拡大して印刷してフライヤー作って。でも俺らバカやからそこにセットリスト書いてて、近所のコンビニに「貼ってください」ってお願いして(笑)。

古澤 ちなみにコンビニに貼るように頼んだの、樋口の母ちゃんですからね(笑)。そしたらそこの店長が粋な人で、そのフライヤーをバックドロップくらいのサイズに拡大してくれたんです(笑)。

樋口 レジの後ろに、コピバンの曲目がザッと書いてあるでっかいコピー用紙が貼ってあって(笑)。

古澤 セットリストの1曲目は【有心論】(※RADWIMPS 2006年7月リリースシングル曲)でした(笑)。

樋口 いちばん最後の曲だけ「?????」にしてました。

安田 吉希(Dr/Cho) その「?????」はなんやったん?

樋口 【いいんですか?】(※RADWIMPS 2006年12月リリースのフルアルバム『RADWIMPS 4~おかずのごはん~』収録)やったと思う。

安田 なにからなにまでRADWIMPSやん(笑)。

樋口 俺らそんな感じでいっつもへんなことしてて、学校や近所の笑い者でした(笑)。

>> 樋口侑希がギターヴォーカルに転身した理由は? コピバンからオリジナル曲作りへの道筋

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