就職できなかったフリーランスライターの日常(4)
就職できなかったフリーランスライターの日常(4)
OVER20で入学する専門学校
ライターを志し、晴れて2007年4月、東放学園音響専門学校へ入学した。同級生は1988年度生まれ。久し振りの学生生活のいちばんの心配は「年齢差などによりクラスで浮くのではないだろうか」ということだった。入学式のあとクラスの顔合わせがあり、実行委員的な役割の2年生の指示によりクラスメイト同士で携帯電話の番号交換が行われた。対人恐怖症ゆえとにかく動揺が止まらず、頭のなかは「どうしたら変なやつだと思われないか」ということでいっぱいだった。たぶん近くの座席に座っていた女子生徒4人くらいと番号を交換した。すべてが受け身。これが当時のわたしの精一杯だった。
その翌々日にキングオブ難関である1泊2日の親睦旅行が控えていた。高校卒業したての見知らぬ子たちとなにを話せばいいんだ。憂鬱な気持ちを抱え、買ったばかりの新幹線定期で集合場所の都庁付近のバスのりばへ向かった(※専門学校生活の2年間、静岡県から新幹線通学をしていた)。行きのバスのなかで「あだ名を画用紙に書いて自己紹介をする」というコーナーが設けられ、わたしは中学高校のあだ名である「沖ちゃん」と、日記サイトのハンドルネームにしていた「おっきー」のふたつを上げ、下を向きながら「お好きなほうで呼んでください」と精一杯の笑顔で言った。たぶんかなり引きつっていた。
旅館の部屋割りは五十音順で5人ずつ区切られた。これがわたしの専門学校生活を大きく左右する出会いだった。わたしの部屋のメンバーは、埼玉県出身在住の18歳女子、札幌から上京してきた18歳女子、韓国と台湾の留学生の2人、わたしの計5人。まず自己紹介からスタートし、札幌女子はわたしが同い年ではないことに驚いていたが、だからと言って壁を作ることも気負いすることもなく、そのあとも普通に同級生として話しかけてくれた。彼女は留学生のふたりに「なんでそんなに日本語うまいの?」と感動を示し、彼女のおかげで一気に場の空気は和やかになった。札幌女子も埼玉女子もわたしもBUMP OF CHICKENが好きだったため意気投合。わたしはいつの間にかふたりから「おっきー」と呼ばれていて、3人で朝5時まで話しこんでしまった。なにを話したのかはまったく覚えていないが、次の日の旅行コースである牧場では札幌女子もわたしも睡眠不足で、なにもせずひたすらベンチで散りゆく桜をぼんやりと眺めていたことは覚えている。
そのあと、札幌女子と埼玉女子がサークルに入るということでわたしも同じサークルに入り、そこでPAやMA、レコーディングエンジニアを目指す音響技術科の子たちと知り合った。彼らと話してみると、わたしと同い年はもちろん年上もいて、大学ドロップアウト組、大学卒業組、退職組も多いではないか。札幌女子&埼玉女子と一緒にいることで、自然と交友関係は広がっていった。知り合う同期はみんな年齢や性別の違いも気に留めずフランクに接してくれる人ばかりで、日々の生活のなかでわたしも少しずつ緊張が取れていった。いまも年下の子たちと話すほうが得意なのは、家庭教師のアルバイト経験や専門学校生活が大きく影響していると思う。
音響技術科は技術的なことに詳しい人が多く、彼らのおかげで音楽の聴き方も変わった。音楽に詳しい子からCDを借りたり、イヤホンの性能を見てもらったり、立ち上がったばかりのニコニコ動画を教えてもらったりと、新しい世界がどんどん広がっていった。放課後はマクドナルドやサイゼリア、学校のロビーや喫煙所で駄弁ったり、ゲームをしたり、新宿西口のヨドバシカメラで音響機器やパソコンを物色したり、タワーレコードでCDを物色したり、歌舞伎町で飲んだり、友達の家でたこ焼きパーティーをしたり、カラオケ、ボウリング、ゲーセン……とにかく毎日のように遊んだ。中学高校とまったく学校に馴染めなくて対人恐怖症になって、現役入学をしていないわたしがこんな学生生活を送れるなんて、親睦旅行の行きのバスで自己紹介をしたときには思ってもみなかった。これが11年前の話。いまの時代の大学/短大/専門学校は、当時もさらに様々な世代の人が集まっているだろう。
また、これだけの人間関係を作れたきっかけは音楽という共通言語――親睦旅行で話したBUMP OF CHICKENだったと言っていい。性別も世代も超えて多くの人を魅了していたBUMP OF CHICKENという存在が、世代も育ってきた環境も違うわたしたちをつないでくれた。音楽があったからたくさんの人とつながることができた。やはり音楽は偉大であると痛感し、自分もそこに携わる仕事がしたいとさらに強く思うのであった。
(※今回は基本的に思い出話になっちゃいましたね。ジェネレーションギャップなんてあってないようなもんだ! 飛び込んでしまえばあとはやるだけ。なんとかなる! とはいえわたしはかなりラッキーだったと思います。2006年に入学しようとしたのを「なんとなくいまじゃないな……」と感じたのはこれが理由だったんじゃないかと思うくらい、2007年に入学できてよかったと思っています。専門学校の同級生はいまも掛け替えのない仲間です。次回は波乱の就職活動学生時代篇!!)
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