就職できなかったフリーランスライターの日常(5)

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就職できなかったフリーランスライターの日常(5)
インタヴューを受けました+編集の原体験

前回のあとがきで「次回は波乱の就職活動学生時代篇」と言いましたが、急遽予定を変更して……。先日、わたしの出身校である東放学園音響専門学校の母体である東放学園卒業生支援室・TOHO会さんにインタヴューをしていただきました! インタヴュー内では卒業後の活動や、学生時代の話、ワンタンマガジンの話などをしています。

ぜひご覧ください↓↓
web版 元気です!TOHO会 [2018.07 Vol. 1]
フリーライター 沖 さやこ (東放学園音響専門学校 2009年音響芸術科卒)

と、これだとただの告知だけになってしまいますので、このインタヴューでも話題に出ている卒業制作の「音楽雑誌制作」のエピソードを。

わたしが東放学園音響専門学校に入学を決めたいちばんの理由は、卒業制作の「音楽雑誌制作」だった。このコラムの第2回目で書いたように、なんとなしに見ていたパンフレットにあった「音楽雑誌制作」の文字を見て、衝動的に「これがやりたい」と思ったからだ。1年次にPA、MA、REC、コンサート制作などの実習を経て、2年次にコース分けがされ、わたしは自分の希望だった「音楽ライター・編集デザインコース」へと進んだ(※現在東放学園音響専門学校ではコース分けを行っていない)。

当時のわたしは編集者とライターの仕事の違いもよくわかっておらず(※編集者とライターの違いについて書いたコラムはこちら)、ただただ自分がよく読んでいた音楽雑誌の真似事ができればそれで満足だった。だがなんと、東放学園は雑誌制作にまつわるすべてを学生自身で行わなくてはならなかった。初回の授業で先生たちから言われたことは「雑誌のタイトルはHARMONIA(ハルモニア)。今年は15号目。それ以外はなにも決まっていないからみんなで考えて」ということ。えええ? どうしたらいいわけ? と悩んでいると、先生たちはまず「まずは雑誌のコンセプトを立てないといけないよ」と助言をくれた。

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表紙はケーキ型のオルゴールをレコードプレイヤーに乗せて、HARMONIA 15周年記念と音楽を表現しています。画像デザインも生徒で、フォントも生徒チョイスです

コンセプト――これが学生の我々にとって曲者だった。1年次の「ライヴ制作実習」で、教師講師からもオファーしたバンドからも散々言われた言葉が「コンセプトが見えない」。なんとなくふんわりと「イヴェントやりたーい」「雑誌作りたーい」くらいにしか思っていなかった我々は、なんなんだよコンセプトって!! と逆ギレすると同時に、大人がやっていることに挑戦した結果いきなり躓いてしまうという現実を突きつけられた。

そして我々がダメ出しを受けまくり、3ヶ月かけて決めたコンセプトが「ネガティヴァー(ネガティヴ人間)に贈る音楽の楽しみ方」。ライターコースの11人は全員仕切り屋気質ではなく、そんなにポジティヴな人間でもなかったため、ネガティヴな自分たちがどんなふうに音楽を楽しんでいるのか、ネガティヴな人間でも音楽を楽しめる方法を提示しよう、という意味を込めた。先生たちも苦しい顔をしながらなんとかOKしてくれた。そのテーマのもと一人ひとりが企画を立ち上げ、それを1冊の本にまとめるという方法を取った。編集長を決めなかったことも、一人ひとりで企画を持つことも、過去14回では事例がなかったようだ。わたしたちらしいと言えばわたしたちらしかった。

わたしはいろんな音楽媒体に履歴書を送りながら、卒業制作の活動を続けた。せっかく学校の名前があるんだからと、メジャーアーティストにインタヴューをオファーしたり、レコード屋の店主にインタヴューをしたりと、当時の自分の力量以上のことをたくさんやった。身の程知らずにも程がある。だが「身の程知らずが許されるのは学生まで、こんな高い学費を払っているんだから使わないと損だ!」と割り切って開き直って、攻めの姿勢を続けた。

職員室で緊張する怖い怖い怖いと言いながらアーティストの事務所に電話をし、取材のオファーをして企画書を送信した。2ヶ月経って取材のOKをいただき、電話口で泣きながら感謝の言葉を伝えた。メールを返してくれないライヴハウスに直接訪ねたら「まず最初に連絡してくるのが礼儀だろ、失礼だ」と店長から怒られたこともあった。メジャーアーティストへのインタヴューは、緊張しすぎて降りる駅を間違えた。降りる駅を間違えたことにも気づかず東京のど真ん中を彷徨った。汗だくで息を切らしながら取材場所に到着した。緊張しすぎているなかで「はじめまして」とアーティストご本人に頭を下げると「ていうかよくライヴ来てるよね?」と言われ、対人恐怖症ゆえ「憶えられてるなんて!!! ありがたいけれどそれ以上に恥ずかしい!!! わたしなんかがこの方の視界に入ってしまっているだなんて!!!」と死にそうになった。取材中はそこにいるだけで必死だった。秋になっても本がまとまる気がせず、仕方なくわたしが仕切るようになった。卒業寸前に本が出来上がったときクラス全員で記念写真を撮った。いろんな思い出が走馬灯のように蘇ってくる。

先生たちは基本的に見守る姿勢で、ちょこちょことアドバイスを出したり我々の決めたことにケチをつけるだけで、手を出すことはなかった。もうちょっと先生たちも動いてくれよ! と当時は思っていたが、あれだけのお金を使ってすべて自分たちでできることなんてそうそうあるわけがないのだから、本当に貴重な機会だったといまになっては思う。その経験がなかったらワンタンマガジンを立ち上げようとは思わなかっただろう。

というわけで、無事に卒業制作は完成したわけだが……問題の就職活動はどうなったのか。次回こそとうとう「波乱の就職活動学生時代篇」!

就職できなかったフリーランスライターの日常 過去ログ

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