音楽家の好奇心が作る実験的サウンド――波多野裕文氏の未発表音源集を聴いて
姉が再生するスピーカーから流れていた曲を聴き、純粋に「これはなんだろう」という興味にかられた。決して大衆向けではない、アクの強いヒューマンドラマ映画のサントラに使われていそうな、どこか気味が悪いようでいて、朝の空気を吸うような清々しさのある音――心が自然と引き込まれていった。その曲はPeople In The Boxのギターヴォーカルでありソングライター、波多野裕文氏のソロ音源『Selected Abstract Works I』に収録されている、【acoustic_guitar】という曲だった。
「『Selected Abstract Works I』というこれは新作ではなく、今まで個人的に録り貯めた未発表音源で、なんとも形容しがたくも味わいのある種類のものがあり、そのなかから選りすぐったもの」と言うのは制作者である波多野裕文氏(※以下コメントはこちらより引用)。「なんとも形容し難くも味わいのある種類のもの」という例えを見た途端、まさにそれ!という気持ちになった。
実験的でロマンチックで、奇異なサウンドを集めた佳作集。そして波多野氏の音楽に対しての向き合い方や試み、「こうしたらこうなるかな?」という音楽への純粋な好奇心が反映された変態力が溢れた、7つのインスト楽曲たち。曲の印象で映画のワンシーンが浮かぶ人もいれば、アニメが浮かぶ人もいるだろうし、色が浮かぶ人もいるかもしれない。聴く人の持つ感覚、感性、芸術性を刺激する音だと思う。大袈裟かもしれないが、少しだけ波多野氏とともに創作をしているような気分にもなった。
僕の場合、【Spiegel Im Spiegel】を初めて聴いたとき、中学生のころに訪れたミャンマーを思い出した。土埃っぽい街、日本より大きく感じる太陽、スピーカーから流される音質がそこまで良くないお経……。あのとき肌で触れた発展途上国が見せる雑多な世界、喧騒、人々のエナジーが、音楽の力によって蘇ってきた。
僕が最初に聴いた【acoustic_guitar】は「デレクベイリーの評伝が日本で出版され読んで感銘を受けたのを機に、彼がしているような本当に純粋な即興というものをやってみたいと思った」という動機から生まれたアコースティックギターのフリーインプロヴィゼーション。
波多野氏の「音楽も知らない、音程も知らない、奏法も知らない、というつまり、初めてギターを触る時に感じる驚きや喜びを再び引き出す、ということをやってみようと思い立ち、朝起きて、アコースティックギターのところへ行き、ただ録音ボタンを押して気持ちの純粋さが持続するまで、ただ弾き続けるというのを4日くらいやった中の一番良かったテイクです」という言葉通り、音から純粋に音を鳴らすことへの透き通った喜びや心地よさ、次はこうしたらどうなるだろう?という好奇心に満ちた曲だ。無邪気さと音楽への貪欲さをストレートに感じた。あと、朝のイメージを感じてたら本当に朝録音していたとのことで、驚いた。
このアルバムを聴いて、波多野氏は料理人的思考で音楽を作る人物なのかな、と思った。今作がそういった実験的サウンドをつめた作品なのもあるかもしれないが、「どれにどの音を混ぜたらどうなるか」というスタンスが、「この味にこれを混ぜたらどんな風味や舌触りになるか」といった、新しい料理を試行錯誤している時の感覚に近く感じた。しかし波多野氏の音楽の探り方は、変態的で良いですね。もちろんいい意味でです。
今作はもともと発表するタイミングをうかがっていたものを、買い手の任意の金額で購入出来るようにし、その売上を熊本地震(九州中部地震)の義捐金として寄付する、というかたちでリリースされたもの。もしかしたら他にもこうした「表には出さないけどものづくりをしていた」というアーティストが、この日本にも多いのかもしれない。
僕は海外のミックステープを聴くのが好きで、その理由は正式リリースではできない実験的なサウンドや、アーティストの趣味や自我が強く反映されている楽曲が楽しめるから、というのも理由のひとつだ。欧米ではそうした作品を「ミックステープ」としてリリースするシステムが出来上がっている。日本でも、そういった正式リリースの音楽とはまた違う一面が味わえる楽曲が公の場に出ていく機会が増えると、アーティストはもちろんリスナーも新しい音楽の楽しみを得られるのではないだろうか。(沖 丈介)
◆Information
・People In The Box official site
・Hatano / Hirofumi – Tumblr
◆Related article -otmg
・Column:ネットでディグり、無料で落とす公式音源――進化し続ける「ミックステープ」入門編
・Interview:People In The Boxが最新2作で説く多義的な物語 ――波多野裕文の感性と知性を探る