その日常はなぜ日常なのか――creature falls umbrellaの音楽に渦巻くグシミヤギヒデユキの思考
◆6曲すべてに自分の一貫した人間性が出ている
――『mistletoe』は【メトロノームがきこえる】や【映画】よりもシンプルでキャッチーなものが多い印象がありました。メロディもフレージングも無理がない。
かなり削ぎ落とした感じはありますね。自分がギターとして参加するものは無理くりなフレーズや毒々しいものを入れたりもするんですけど、自分の曲作りでは自分のなかから純粋に出てくるものをそのまま出す感覚があります。だからギタリストとしてのときと、creature falls umbrellaのメンバーとして曲を作るときとは、エゴのベクトルが違うというか。やっぱりギターとして参加するときは作曲者の世界観に合わせるからプラスできる自分の音楽性はすごく限られているので、ギターとしての個性を重視してるんですよね。creature falls umbrellaは自分で作詞作曲をしているぶん、等身大の自分をそのまま出せる。どちらもすごいエゴだなと思いますけど(笑)。
――ははは。ギタリストとしての活動がバンドに生かされている。
そうですね。いろんなところで演奏したりレコーディングしたりすることもそうですし、他の人が作った曲を演奏することで「この人はこんな曲を書くんだ」というのを間近に体験して感性が刺激される。それがかなり自分の曲に影響しているとも思いますね。『mistletoe』は初めてのアルバムだし、本来の自分たちをそのままアウトプットすることができました。
――『mistletoe』には1stデモCDをリリースしてから作った曲が収録されているんですよね。曲が出来上がった順序は?
いちばん古い曲が【彗星】(M2)、【クローゼット】(M1)と【シリウス】(M4)を同時期に作って、そのあとに【トリガー・ハッピー】(M3)と【機械じかけの森】(M5)を、そして最後にアルバムの締めの曲を作ろうと思って【題名のない絵画の中で】(M6)を作りました。制作時期がばらばらだからモードもばらばらなんですけど、6曲すべてに自分の一貫した人間性が出てるかな……というのをすごく感じるんですよね。それが“mistletoe(=ヤドリギ)”というアルバムタイトルにも由来しているんです。この6曲にはそれぞれ個性もあるんだけど、すべてがcreature falls umbrellaというひとつの木に寄り添って出てきた曲たち――そういう意味合いでつけました。
――creature falls umbrellaの歌っていることは陰のものが多いような。
自分が詞を書くにあたって大切にしているのが、「いま当然とされていることに対して疑いを持つ」ということなんです。大学時代に教育学を学んでいて、そのときに恩師や周りの仲間たちと「ゲームは子どもに悪影響と言うけれど、なぜ悪影響だと言われているのか?」みたいに、「いま当たり前になっていることの背景には何があるのか?」ということをすごく議論しあったんですよね。だから常識に対して疑問を持ち、潜ってみるという僕の生き方が歌詞にも反映されていて。……自分と相手のふたりの関係性を歌った曲が多いんですけど、自分の内面と他者との距離感、それを囲む環境が形成されているのは何かしらの理由や偶然がある――そういうことに目を向けています。マクロなところからミクロなところにフォーカスしているようなものが多いのかなと。「その日常はなぜ日常なの?」というところまで入り込んでいきたいというのがテーマとしてあるんです。
――そうですね、日常を一時停止していたり、スロー再生したような描写が多いと思いました。そして〈星〉や〈森〉のような自然物と、〈街〉という人工物の対比も目立ちます。
そういうものにすごくそそられるんですよね(笑)。それが顕著なのが【機械じかけの森】かなと。自然物は僕にとってとても神聖なものなんですよね。憧れるし追い求めるものでもあるんですけど、そういうものにも人の手が関与しているように感じるんです。「じゃあ純な自然はどこにあるんだろう? 地球に純な自然はあるのだろうか?」と考えることが多くて。もし自然というものが真ん中にあって、それを人工物が取り囲んでいて、それ全部で「生活」と言うのだとしたら、ちゃんと純自然のなかまで入り込みたい。それが「日常はなぜ日常なのか」という問い直しにもなると思うんですよね。
>> 【機械じかけの森】でこのアルバムを終わらせたくなかった