楽器講師の役目とは? 小田原の音楽文化を支えるブルーピジョン・スタジオのモットー
楽器講師の役目とは?
小田原の音楽文化を支えるブルーピジョン・スタジオのモットー
神奈川県小田原市。伊豆箱根の玄関口に位置し、県西地域の中心都市を担っている。チェーン店が軒を連ねる一方、じっくりと見回すと個性的な個人店が多い。
かねてからプライベートスタジオへの関心が強かったわたしは、自分の住んでいる街にあるスタジオに赴き話を聞いてみたいという願望があった。それを小田原出身の方に相談したところ、紹介してもらったのが音楽教室兼レコーディングスタジオの「ブルーピジョン・スタジオ」だった。
ギタリストの青柿行大氏が代表を務める同スタジオ。小田原市の夕方のチャイムの音の制作や、周辺現場への機材貸し出しを行うなど県西地域の音楽文化に貢献している。音楽教室にはex.藍坊主のドラマーでありサポートミュージシャンやドラムチューナーとしても活躍する渡辺拓郎氏、sumikaやTTREなど多数のアーティストのステージサポートを行うammoflightの鳥居塚尚人氏、美術館やカフェなどでの演奏活動の他、精神科デイケアでギターや音楽指導なども担当する染谷匡紀氏と、個性豊かな講師陣が揃う。
彼らはそれぞれどんな心情のもと、ブルーピジョン・スタジオから音楽を発信しているのだろうか。講師4名にレッスンのポリシー、音楽への愛情、小田原という街で音楽と向き合う意味などを語ってもらった。
取材・文 沖 さやこ
撮影 moi_drip(website)
◆ブルーピジョン・スタジオ
神奈川県小田原市の音楽教室・レコーディングスタジオ。代表のギター講師・青柿行大氏を中心に、現役のプロミュージシャンやベテランの講師まで、多様で愉快な講師陣が揃う。レッスン科目はエレキギター、アコースティックギター、クラシックギター、エレキベース、ドラム、ウクレレ、DTM。レコーディング部門ではマスタリング、アレンジ、作曲、生演奏収録を請け負う。「音楽を演奏する喜びと、楽器が奏でる音の美しさを伝えていきたい。憧れのあの曲を弾けるようになれたら――そんな想いのお力添えに」
神奈川県小田原市本町2-10-24 トミービル1F
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◆独自の文化が発達する小田原の音楽シーン。ブルーピジョン・スタジオがオープンするまで
――神奈川県の音楽シーンは東海道線沿いの横浜湘南エリアや、小田急線沿いの厚木町田エリアが知られていますが、神奈川県西部に位置する小田原も独自の文化が育っている印象があります。
青柿行大 もともと小田原市自体が文化の盛り上げに好意的だと思います。FMおだわらのスタジオは市役所の中にありますし、10年以上続いた「小田原城ミュージックストリート」というイベントは市役所の方が運営なさっていたんです。小田原市は藍坊主やammoflightなどバンドでプロになった方も多いですし、音楽が好きでバンドを続けている人もたくさんいらっしゃって。だからブルーピジョン・スタジオも地元の方からレッスンやレコーディングの依頼を頂く機会が多いんですよね。
――小田原市の隣に位置する松田町出身の渡辺さんと、小田原市出身の鳥居塚さんも同じような印象をお持ちでしょうか?
渡辺拓郎 家の近所に南米の民族音楽をやっているご家族がいらっしゃって、そこのお兄さんがドラマーでロックをやってらっしゃったので、そこから影響を受けてドラムを始めたんです。僕の近所にはドラムをやっている人が多かったんですよね。
鳥居塚尚人 小田原の姿麗人というライブハウスの存在も大きいと思います。小田原周辺の10代20代のバンド仲間がいっぱい集まって、何度も姿麗人でライブして「やっぱあいつらうめえな、負けらんねえな」みたいに切磋琢磨しながら音楽をやっていたことも、音楽が盛んな理由のひとつな気がしますね。
――青柿さんと鳥居塚さんの出会いも姿麗人とのことで。
鳥居塚 僕が高3の頃、ammoflightを組む前に姿麗人でレコーディングをしていて。そこにたまたま青柿さんがいらっしゃったんです。
青柿 その頃は僕ももう講師業をしていたので、若くてベースがうまい子がいるな~!という認識でした。それから仲良くなって、鳥居塚先生が二十歳ぐらいの頃に、僕がやっているユニットでサポートベースを弾いてもらったりもしましたね。
鳥居塚 そのつながりで、拓郎さんとも知り合ったという感じです。でも当時は怖かったです(笑)。
渡辺 なんでだよ(笑)。
鳥居塚 10~20代前半にとって、6つ上のバンドマンの先輩はどんな方であっても緊張します(笑)。あとはやっぱり僕ら世代にとって藍坊主はかなり大きな存在で。藍坊主に続けという気持ちでバンドをやっていたので、偉大な先輩なんですよね。
――青柿さんと渡辺さんは同じ高校の軽音楽部に所属して一緒にバンドを組まれるなど20年来のお付き合いなんですよね。それで青柿さんは2004年から講師業を始めると。
青柿 専門学校ギター科の1年生の時に、妹のエレクトーンの発表会にギターで参加したら、その音楽教室の偉い人から「講師になってほしい」と言われたんです。それで「卒業したらぜひお願いします」とお返事をしました。バンドやプレイヤーとして活動していければと思っていたんですけど、誘っていただけたのも何かの縁だし、音楽を仕事にできるのはありがたいなと思って、21歳ぐらいから講師業をしています。講師業を続けていくなかで染谷先生と知り合ったんですよね。
――青柿さんと染谷さんは、同じ音楽教室の講師同士だったそうで。
染谷匡紀 求人情報を見ていたら、たまたま小田原駅の近くにあるアプリという商業ビルで開かれていた音楽教室の講師の募集を見つけたんです。小田急線沿いに住んでいるので通うのも便利ということで応募して、そこで青柿先生と知り合いました。レッスンが同じ曜日だったので、顔を合わせる機会も多かったんです。
青柿 でも老朽化の影響でビルが2016年8月末に閉館してしまうことになって、音楽教室もそのタイミングで閉業することが6月末に決まったんです。生徒さんを結構抱えていた教室だったことに加え、レッスンを続けたいという意志をお持ちの方が多くて。じゃあ自分で物件を探して教室を立ち上げようかなと思ったんです。
――そこから2016年9月のブルーピジョン・スタジオ開校に至るんですね。
青柿 みんなの熱意に押されて開業を決めたので、流されたと言えば流されたんです(笑)。でもやると決めたら黙々と実現に向けて動いていくタイプなので、物件探して、屋号はどうしよう、ロゴは誰に頼もうとか、1個1個着実に進めていってオープンすることができました。講師をしていた音楽教室からそのまま生徒さんが移ってくださったので、生徒さんが揃った状態で始められたのもありがたかったです。
――そして2020年3月に現在の場所へと移転し、音楽教室だけでなくレコーディング業務も請け負うようになる。
青柿 ブルーピジョン・スタジオを開く前から個人でレコーディングの仕事は受けていて、その間に少しずつ機材を増やしていたんです。移転をきっかけにバンド録音にも対応できるように環境を整えて、レコーディングをスタジオの業務内容として正式に加えました。大きい音が出せるようになったので、かねてからバンド活動と並行して講師業を行っていた渡辺先生に、ドラム教室を受け持っていただくことになったんです。
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講師陣4人は、レッスン生とどう向き合っていくのか。教えることへのポリシーを探る