その日常はなぜ日常なのか――creature falls umbrellaの音楽に渦巻くグシミヤギヒデユキの思考
◆【機械じかけの森】でこのアルバムを終わらせたくなかった
俺、夜が好きなんですよね。というか朝がすっごい嫌いなんです(笑)。僕にとって朝は「終わり」なんですよ。夜は自分自身が実体化する感覚があるんですよね。やっぱり日の光が出ている時間は、自分がいろんなものに囲まれている気がして。でも夜は静かだし、部屋にひとりでいればなおさら「自分」というものを強く感じる。だから朝が来るのはひとつの区切りなんです。朝ってすごいパワーがあると思うんですよね、俺は夜がすごく好きなのに、朝まで起きてたりすると「うわ、なんでこんな時間まで起きてたんだろう……」と思っちゃうんですよ。そういう意味でも朝は支配的というか(笑)。誰にでもおとずれる平等なことだとも思います。
――朝が来ることも純自然の現象ですしね。
ああ、そうですね。朝は僕にとって大きすぎるんですよ。畏敬の念というか――純自然のものに対してそういうものがあるのかも。この6曲、夜の曲ばっかりで(笑)。朝の曲が書けるようになったときは、自分に変化があったときだと思います。
――最新曲という【題名のない絵画の中で】は朝を意識している部分はあるのでは? 〈君がいない朝へ〉や〈明日〉という言葉も出てきます。
でもお察しの通りまったくポジティヴな使い方ではないんですよね(笑)。
――確かに(笑)。とはいえ他の曲に香る「俺は夜に浸かっていたいんだ! 朝よ来るな!」というニュアンスに比べると、【題名のない絵画の中で】は朝に向かい合っている、立ち向かっているような印象もあります。シューゲイザーな音色がエモーショナルな楽曲だと思いました。
この曲がいちばん制作時間が短いんですよね。3時間くらいでデモを作ったんです。6曲中最も僕の色が濃く出たなと思います。ふたりもデモを聴いてなんとなくそれを察したのかアレンジに積極的に介入せず、この曲だけは原曲そのままのイメージをなぞってくれたんですよね。さっき「【題名のない絵画の中で】はアルバムの最後の曲として作った」と言いましたけど、それは【機械じかけの森】でこのアルバムを終わらせたくなかったからなんですよね。
――【機械じかけの森】はピュアな部分や希望を感じます。
生きていくなかで人は汚れていくじゃないですか。だから1回ピュアに立ち返ろうと思って作った曲が【機械じかけの森】なんです(笑)。俺のなかから〈世界は美しい〉なんて言葉が出るなんて……! 世の中はいろんなことが渦巻いているし、いまはいろんなことが大変ですけど、それでも「世界は美しいな」と思う一瞬があって。だから【機械じかけの森】はその一瞬の気持ちを抽出して作った結晶のような曲で、嘘ではないんだけど、自分の持ってる汚い部分を削ぎ落としているんです。そういう曲でアルバムが終わっちゃうと、自分の意図と違う受け取られ方をしちゃうんじゃないかなと思ったんですよね。俺という人間がどれだけ卑屈でどれだけ醜いか――最後の1曲には自分から出てくるものは汚いものも全部入れないとだめだと思ったんです。だから自分にとっては毒素の部分が出ていったデトックスな感じというか(笑)。
――(笑)。【機械じかけの森】と【題名のない絵画の中で】はどちらもすごく感情的な曲ですが、その気持ちは真逆のものなんですね。
そうですね。陰と陽が出たラスト2曲です。