マルチクリエイター・白神真志朗が切り取る“満たされていない人々”の生活
◆思ってもないようなことは書きたくないし、いいと思っていないようなことをやりたくはない
――目の前に起きた状況に導かれるように始まったソロアーティスト活動。生楽器を使わないアレンジになったのはなぜだったのでしょう?
岸田さんに「ラヴソングを作れ」と言われたときに、「声がエモやロックみたいなバンドサウンドに向いてない。お前は平井 堅がいるようなポップスシーンに行くべきだ」という話も出たんですよね。当時のポップスシーンはデジタルミュージック全盛だったので、生ベースを使っていない楽曲が多かった。ならばベースヴォーカルでの曲作りから離れなければいけないなと。だから「こういうサウンドが作りたい」というよりは、当時のソロのポップスシンガーが歌うサウンドのなかで、自分がいいなと思うものを探した結果が『東京におけるセックスフレンドや恋人のなにがし(またはそれに似た情事)について聞いて書いた』(2017年2月リリース)になりましたね。
――その結果エレクトロポップやトロピカルハウス、シティポップ的なサウンドになったと。
日本でもSuchmosのようなブラックミュージック系のビートやフュージョン系の人たちも増えている印象があるので、近々ポップスシーンにも生楽器のサウンドは戻ってくると思うんです。でも自分が歌うにあたっては、さしあたってこのサウンド感かなと。ただライヴで自分がハンドマイクで歌うのは想像ができなさすぎるので(笑)、この先ライヴをやるとなるとどういう体制で披露するべきか……と考えているところですね。
――今作『雨が降るから、今日は』はサウンド面で言うと前作を洗練させた印象があるのですが、楽曲そのもののテーマは前作とまったく違いますよね。
そうですね。前作がなぜああいうどぎついタイトルだったかというと、わかりやすくどんなことを歌っているかを示すため、目に留まるものにしたかったからだったんです。「ラヴソングを書け」と言われても、ラヴソングというものを書いたことがなかったのでとにかく手探りで。恋愛小説を読んだり、実際に100人くらいの女性と話したりして男女関係にまつわることを曲にしていったんです。
――まさにタイトルの通りの作品です。
とはいっても自分の琴線に触れるものをちゃんと作りたかった。思ってもないようなことは書きたくないし、いいと思っていないようなことをやりたくはない。音楽は小説以上に本能的な感覚に近い表現だから、敢えてターゲットを選ばなくていいと思っているんです。だからいまの自分が「いい」と思うものは作ろうと思っていた――それが自分にとっての命題だったんですよね。前作は主に女性の性愛に関することに目を向けてみた。それは自分がラヴソングを作るうえでの訓練にもなったし、いろいろ新鮮だったのでひとつの社会経験としてすごく良かったし、これを聴いて「いい」と思ってくれる人がいて、だれかのためになれたらすごくいいことだなと思ったんです。男女の性愛は奥深いことだからいくらでも書いていける。でも「俺はこれをずっと続けるのか?」と思ったのは正直なところで(笑)。
――ははは。前作をリリースなさったタイミングで、真志朗さんはフリーランスに転身します。
このタイミングで「人の役に立つことがしたいのか、アートや創造するという行為が好きなのか、どっちなんだろう?」と改めて考えたんです。もちろんどっちも好きなことなんだけど、商業的なことを狙ったほうが広く届くから、人のためにはなりますよね。前作は自分自身に嘘をつかないことを大前提に置いたうえでそれに挑戦したから、もうちょっとだけそこをがんばってみようかなと思った。そのうえで、「僕個人が納得できるテーマを内包するためにどういう作品を作ればいいだろう?」と考えた結果、それは“生活”にフォーカスすることだなと思ったんです。
――たしかに、性愛も生活の一部ですからね。
『雨が降るから、今日は』はそれぞれ様々な生活にフォーカスした曲があって、そのなかに性愛にフォーカスした曲もある、という内容になりました。人々の生活がいまの自分にとっての振れ幅、自分の物差しの範疇だと思ったんです。
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生活とは人々がなにを糧にして生きていくかということ