就職できなかったフリーランスライターの日常(6)
就職できなかったフリーランスライターの日常(6)
わたしには○○がない
専門学校2年生の6月頃にもなると、ちらほらと内定の話が出てくる。わたしも音楽専門誌に履歴書を送るなどしたが、箸にも棒にも掛からない。もやもやを抱えつつ卒業制作の音楽雑誌制作を進めていた。インターンや内定者研修で学校はどんどん閑散としていった。
2008年末。1年時に受けていた授業の講師のK氏(仮称)がわたしに声を掛けた。それはメディアA(仮称)と顔合わせをしてみるか、という話だった。メディアAはわたしが専門学校に入学する随分前から読んでいたメディアで、K氏とその会社の社長が古くからの友人だという。前のめりで「ぜひお願いします」と返事をした。A編集部との初めての顔合わせのときになにを着ていったらいいか悩んでいると、K氏はろうそくを吹き消すように軽やかに「お気に入りの服を着ていきなさい」とにっこり笑い、わたしの心を落ち着かせた。
その言葉の通り当時いちばんのお気に入りの服を着て面接に向かい、がちがちの受け答えをした結果、まずインターン/アシスタントとして編集部に出入りすることが決まった。2009年1月、卒業間際の話である。編集部のB氏(仮称)がわたしの世話係に任命された。
そのあとB氏がわたしを少々お高めでおしゃれな喫茶店に連れて行き、わたしに言った。「うちの会社に就職したい?」――わたしは「ずっと読んできたメディアで働けるなら、こんなにうれしいことはない」と即答した。するとB氏は「こちらからその旨を社長に伝えておく。最終決定を下すのは社長だけど、頑張り次第で働けるかもね」と告げた。わたしはその言葉をまっすぐ受け止め、インターンのアシスタントとして仕事に精を出す。インターンの目的が「音楽業界の現場を知ること」から「この編集部に雇ってもらうため」に変わった瞬間でもあった。
インターンで経験したのはインタヴューの付き添い、レコード会社まで猛スピードで音源を取りに行く、テープ起こし、ディスクレヴューの執筆、ライヴレポートの執筆。9割が編集部で缶詰めになってテープ起こしだった。ビジネスメールの書き方も実践のなかで把握していく。ダメ出しばかりくらっていたが、テープ起こしのスピードはとにかく速く正確で誤字が少ないということで、B氏以外のスタッフやライターからも重宝された。いい仕事をしたら雇ってもらえるかもしれない――その一心で一生懸命がむしゃらにボランティアスタッフとして働いた。もちろんほかへの就職活動などはしていなかった。
3月の頭、B氏から「卒業式の次の日に編集部に来れますか? 今後の話をしようと思います」とメールをもらい、編集部に足を運んだ。B氏の口から出た言葉は「雇えない」。理由は「業界とのコネクションがないから即戦力にならない」「営業を取ってこれない人間は必要ない」ということだった。2008年度は就職活動をしていてもとにかくどこもかしこも「経験者求む」「即戦力」が合言葉になっていて、専門学校を卒業したばかりの若者などお呼びではなかったのだ。わたしに業界とのコネクションがないなんて、そんなの最初からわかりきっていることなのに。最初から結果は出ていたんじゃないか。文章力を磨いても意味はないの? それ以上にコネクションは大事なの? 気づくと目からぽろぽろと大粒の涙がこぼれてきた。一度こぼれたら最後、止まらなくなってしまった。するとB氏は目を丸くしてこう言った。
「うちに入れると思ってたの?」
その言葉は、わたしの身体を締めあげるように痛烈だった。それからA編集部に出入りすることはなくなった。コネがない。コネがない。コネがない。その5文字はわたしに呪いのように襲い掛かった。
(※卒業と同時に振り出しに戻ってしまったわたし。卒業後の新生活をどうする!? 次回を待て! と言いたいところですが、次回はインターン中の体験談について。田舎者の学生にはカルチャーショックがたくさんありました。今後の連載も関わりのある方々のご迷惑がない程度に綴っていきますので、どうかご安心ください!)
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