ひとりならではのバンド論 ブリキオーケストラが再会のなかで見つけた音楽のかたち

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borh_202108_1ひとりならではのバンド論
ブリキオーケストラが再会のなかで見つけた音楽のかたち

 

2021年7月某日、わたしの受信メールによく知る、だけど長らく自分の身近にはない名前が飛び込んできた。多田羅幸宏。忘れもしないブリキオーケストラのフロントマンだ。彼と初めて会ったのは2013年、いまは廃刊になった某商業誌での取材だった。当時のわたしはライター3年目で、その媒体でインタビューをするのは初めてだったこともあり途轍もない緊張のなかでインタビューをしたことを記憶している。

ブリキオーケストラは初の全国流通盤『HAPPY’S END』のリリースのタイミングだった。どうしようもないわたしにも真摯に対応してくださったおかげで、記事は読みごたえのあるものになった。それからライブを観る機会が一度あったが、ちゃんと面と向かって話したのはインタビューの一度きりだった。TwitterのTLでたびたびバンドアカウントのツイートを見掛けていたので、メンバーの脱退がありながらも活動を続けていることは把握していた。

そんな彼から届いた突然のメール。その内容は新作をリリースすること、そのなかの1曲のMVが完成していること、そしてそのインタビューをしてほしいというものだった。自分を思い出してもらえたこと以上に、彼が送ってくれた新作もMVもブリキオーケストラの美学が健やかに漲っていたことが非常に喜ばしかった。この8年間で、彼がどのようなマインドで音楽と向き合ってきたのかが、心に直接響いてきたような気がしたのだ。

新作『THE WORLD IS MINE』は、多田羅幸宏がこれまで歩んできた人生を表した作品と言っていい。その実態をあきらかにするべく、彼と8年ぶりに再会し話を訊いた。

 

取材・文 沖 さやこ
撮影 めえ(Twitter
協力 東放学園音響専門学校/TOHO会

 

borh_202108_ap◆ブリキオーケストラ
2010年結成。ブルース、ロックンロールをルーツとしながら、レゲエ、フォーク、アイリッシュの要素も取り入れたサウンド、多田羅幸宏(Vo/Gt)の歌は人間誰もが持つ言葉にならない感情や、潜在的な意識を呼び起こす。2013年6月に初の全国流通盤となる1stミニアルバム『HAPPY’S END』、同年12月にタワーレコード限定シングル『さようなら愛する人』をリリース。ツアーファイナルの下北沢Daisy Barワンマンはソールドアウトで迎える。2014年から2017年にかけてのメンバーチェンジを経て、多田羅を中心にサポートメンバーを迎えた活動形態にシフトする。2021年8月、1stフルアルバム『THE WORLD IS MINE』をリリース。
(official : website / Twitter

 

◆2人編成の制作がきっかけで、音楽との向き合い方が柔軟になっていった

――ブリキオーケストラの現在の正式メンバーは多田羅さんのみ、ということでよろしいでしょうか?

多田羅 幸宏(Vo/Gt) 基本は僕がひとりで、ライブや曲ごとにサポートしてもらってるという感じです。好きな人と一緒に音楽が出来ているので、メンバーという意識で付き合っていますね。この形態だと楽しくできるし、長く続けられるかなと。

――少し過去を振り返りたいのですが、2010年から3ピースバンドとしてスタートしたブリキオーケストラは、2014年にベーシストが脱退。その後新ベーシストの加入と脱退があり、2017年にドラマーのちーさーさんが脱退。この3年間がブリキオーケストラのターニングポイントになっていると思うのですが、振り返ってみてどのような時期だったのでしょう?

多田羅 やっぱり、ちーさーの脱退がものすごくショックだったんですよ。ベーシストがいない時期に、ちーさーとふたりでライブをしたこともあって。そのあとサポートベーシストが見つかって3人で音合わせをするようになって、絢屋順矢がギタリストとしてブリキオーケストラに入るために大阪から上京することも決まって。僕としては「4人で華々しく再スタートや!」という気持ちだったんです。それが、順矢が上京してきたと同時にちーさーが脱退を申し出て……。

――ちーさーさんは初期メンバーでしたし、大阪時代からの旧友である絢屋さんもバンド加入のために上京なさって……というタイミングだと、ショックは大きいですよね。

多田羅 ものすごいダメージでした。しばらくやる気は出なかったですね。でも順矢はブリキオーケストラに入るために上京してきたわけやし、なんか作らないわけにもいかないな、何か作品を作りたいなと。

――それが当時ソロ名義でリリースした『A film about us』。

多田羅 そうです。ロックバンドである意識が強かったから全然アコギを弾いてこなかったんですけど、ふたりで出来るいちばんかっこいい表現を考えていくと、順矢がエレキで僕がアコギという編成に落ち着いて。ベースがおらへんぶんエレキギターがちょっとベースっぽいフレーズを弾いたりして。「これはこれでかっこいいものができたな」と納得できたんですよね。


ブリキオーケストラ『A film about us』(2018)

多田羅 これきっかけで音楽との向き合い方がちょっと柔軟になっていって、「俺もアコギ以外の楽器を弾いたらバリエーションが増えるかな?」とマンドリンを入れてみたり、「エレキとアコギでどれだけ音圧を出すか?」とリズム隊がいない編成だからこその方法を考えてみたり。ソロ2作が今の形態のプロトタイプみたいなものになっている気がしてますね。

――となると絢屋さんが上京していたことが、その後もブリキオーケストラが続いた理由のひとつでもあるのでしょうか?

多田羅 ああ、それはあるかもしれない。人生の分岐点でそういうことが起きやすいんですよね。それこそ前のバンドからブリキオーケストラになった時もそうで。上京して1年くらいでそのバンドが解散しちゃって、その時に大阪の先輩から言われた「東京行くんやったら帰ってくんなよ」という一言が頭をよぎったんです。それからブリキオーケストラを組むことになったので、誰かの存在のおかげで音楽活動が続いているところはありますね。

>>次頁
「その人の“かっこいい”を生かせる場がブリキオーケストラであればいい」。オリジナルメンバーの脱退が導いた、新しいバンド論

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