絶えず変化し続けるロックバンドWOMCADOLE、その原動力の源とは(後編)

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◆あの人は必死に全力でWOMCADOLEというバンドを良くしようとしていた

――堀江さんはみなさんより先輩でしたよね。

古澤 そうです。いろんな知識もあって、僕らよりも遥かにバンドマンとしてばりばり活動していて、ものすごく頼りになる存在やった。そしたらサポートをお願いした何本目くらいのタイミングで、堀江くんから「WOMCADOLEの正規メンバーとしてやっていくわ」と言われて。

安田 ふつうバンドはトライアンドエラーのなかで活動形態が形成されると思うんですけど、当時の俺らはやっと大阪で初の自主企画をやったくらいの右も左もわからない高校生バンドで、そこに「こういうもんやで」という正解のひとつを知っている人が加入したことで、俺らも「これが正解なんや、これに合わせなあかんねや」と思ってしまったというか。

古澤 堀江くんはプロデューサーみたいにバンドを動かしてくれたんです。僕らはそれまで月に4本くらいしかライヴをしていなかったんですけど、それが10本に増えて。そのおかげでバンドの注目度は上がったし、バンドとしても広く活動できるようになったんですけど……スパルタでしたね。


【MV】WOMCADOLE / イルトエマ

――堀江さんは脱退時の公式コメントで「メンバー3人の意向」「僕の意思にかかわらずの離脱」「性格の不一致」という発言を残していました。3人が思う当時の状況とは?

安田 堀江くんのなかでバンド内ルールみたいなものや、「安田はこうするべき、こういうキャラであるべき」「樋口はこうするべき、こういう曲を作るべき」みたいなイメージがしっかり固まっていたんです。言うてる意味はわかるし、筋も通ってるんですけど、19歳になったばかりの僕らには情報量が多くてパンクする、みたいな感じでした。

樋口 中学時代からずっとバンドで遊んで楽しんでいて、もっと自由にいろんなかたちになりたいなと思っていたところに、「このなかで遊んでください」と小さい箱を用意された感じっすね。……俺、小5の時、音楽を教えてくれた友人と絶交するほどのケンカをして。音楽をやれる環境がそいつの家にしかなかったから、俺の生きがいにしていた音楽が一気になくなって不登校になったんです。その時の気持ちが重くなったような感覚がありました。バンドに曲を持っていくのも怖くなってもうたんです。


【MV】WOMCADOLE / ドア

――3人も先輩相手だから意見を伝えにくいところもあったかもしれないですし、各々の正義がぶつかってしまったのかもしれませんね。でも右も左もわからないWOMCADOLEに、バンド活動のノウハウをいろいろ教えてくれたのは間違いなく堀江さんでしょう。

古澤 あの時の僕らはガキやったんすよね。小っちゃい頃、なにか注意されたらムスッとしてなにも言えなくなっちゃうじゃないですか。近しい人間であればあるほど気持ちも言えずに、どんどん心のなかで黒くなっていってしまう。僕らのやりたいことを伝える環境を、僕ら自身が作らなくしてたんやと思います。それで僕らのやりたいことを伝えるために、堀江くんを入れたメンバー全員とマネージャーさんで朝まで話し合いをした結果、堀江くんの脱退とバンドの活動休止が決まりました。いまは僕が堀江くんの役目を僕が引き継いでいるんですけど、当時の堀江くんに共感できる部分もいくつかあるんですよね。

――というと?

古澤 黒野が入ったあとに堀江くんと話す機会があって、当時のことも昔話として話せるんです。「あのときどういう気持ちでああ言ったん?」と訊いて、あの人は必死に全力でWOMCADOLEというバンドを良くしようとしていたんだなと知りました。でも堀江くんの言い方がきつかったところは否めなくて(笑)。だからこそ僕も「ここは言い方を気をつけなければいけないんだな」と学びましたね。


【MV】 WOMCADOLE / 綺麗な空はある日突然に

――そういういろいろがあったから、3人もWOMCADOLEでやりたいことがはっきりしてきたんですよね。

樋口古澤安田 そうです。

古澤 朝まで続いた話し合いを終えて、樋口とふたりで「絶対にWOMCADOLEを終わらせへんぞ」と話したことをいまも鮮明に覚えていますね。

樋口 その日の朝、めっちゃ天気良かったんですよねー……。そのまま滋賀に戻ってそのままのりぴーと俺と地元の楽器屋さんとあと何人かで飲みに行った。のりぴーはそこで泣きじゃくって。

古澤 その飲みに行った時に「WOMCADOLEを絶対にいいバンドにしたい」と気持ちが固まりました。

>> 黒野滉大が正式メンバーとして加入するまでの経緯とは? 再び動き出したバンドの歯車

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