就職できなかったフリーランスライターの日常(12)
就職できなかったフリーランスライターの日常(12)
誤解
ライターを始めてから、経験を積む機会はいただけていたライター1年目。ありがたいことにメジャーアーティストへのインタビューの機会もいただくことも、原稿の質を褒めてもらうこともしばしばだった。だがライターとして活動を開始してから半年ほど経った2010年の年末。「とあるアーティストスタッフが“沖さんがうちのアーティストを狙ってるのではないか”と心配している」と言われた。そのアーティストに対人恐怖症でばくばくに緊張しながら、仕事でここに来れたことの喜びと感謝を心の底から伝えた様子が「狙っている」ように見えたらしい。
きゃいきゃい盛り上がったわけでも、媚びを売ったわけでも、携帯番号を聞いたわけでも、手紙を渡したわけでも、身体に触れたわけでもない。学生時代も特別講座でゲスト講師に招かれた音楽ライターの方に「その音楽が好きという気持ちはどれほど持っていていいのか」と問うたくらい慎重だった自分が、ただまっすぐな感謝を熱心に伝えたことでこんなふうに受け取られてしまったことが、とにかくショックだった。
自分の行いを責めに責めたし、これが原因で今後仕事をもらえなくなったらどうしようと、悲しみと恐怖で頭はパニックだった。東京のど真ん中の駅の銀座線ホーム14時、足に力が入らなくなりその場に1時間くらいうずくまって泣き続けた。時間的に友達に電話をするわけにもいかず母親に電話を掛け、話しているうちに少し気持ちが落ち着き、当時住んでいた伊豆高原までなんとか帰った。
インターンでメディアA編集部に出入りしてた時、わたしの世話係をしていたB氏(※詳細はコラム第6回へ)も「好きという気持ちは持っておくべきものだし、惜しみなく表現するべきだ。自分の音楽が好きだと言われていやな気持ちになるアーティストはいない」と言っていて、純粋なわたしは「そうだよな、ちゃんと伝えないと失礼になるな!」と納得した。でもこんな誤解をされるなら、伝えないほうがいい。そう思うようになった。
そうやって気をつけていても20代の頃はちょこちょことそういうことがあって、30を過ぎても「女性」というだけでそう見られることがまだたまにある。おまけに独身だとなおさらだ。フリーランスという立場は会社に守られているわけではないので、仕事のクオリティが下がったり、人間的な問題を起こせば一瞬で仕事がなくなる。それがなくても急にすっかりヒマになる時期があるくらいだ。
もしアーティストを狙いにかかったことが原因で仕事がなくなったら、二十歳すぎてから大金をはたいて専門学校に通い、いばらの道を突き進み、必死な想いをしてしがみついてきた意味が全部なくなってしまう。まだまだ未熟なところはあるとしてもプライドを持って仕事をしているし、アーティストの作る音楽が好きで心を豊かにしてもらったからこそ、アーティストをリスペクトしている。
わたしが「好き」という気持ちを文章で書こうと思わなくなったのは、この経験がおおもとにあると思う。その結果が、9回目のコラムに書いたことだ。だが遅かれ早かれ自分のスタイルはこうなっていたのだろうな、とぼんやり思う。そのためにもアーティストのことをしっかりと見る必要があるし、そのためには書くことや音楽を愛する心が必要だ。だが愛というものは意識して持つものでもないと思うし、「批評の精度を高めていきたい」と思っている以上、自分には書くことへの愛も、音楽への愛もあるということだろう。
好きという気持ちも愛も、わたしにとっては行動を起こすエネルギーであればそれでいいのだ。自分の思ういいもの書くことに集中して、力を尽くしていきたい所存である。
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