就職できなかったフリーランスライターの日常(16)

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就職できなかったフリーランスライターの日常(16)
諦めようとした、諦めきれなかった

11回目のコラムの末尾で書いたとおり、ライターを始めてから5~6年の間は毎日のように「もう諦めないとだめかもしれない」と思っていた。

売れないライター。本業はほぼギャラが入らないため、もちろんアルバイトの稼ぎのほうが多い。同年代の友人たちは結婚や出産、車の購入どころか、とうとう家を買い始めた。アルバイトを入れすぎると本業を受けられないから、ライター業の入らない早朝にアルバイトを、それ以外に在宅の文字校正とサイト更新のアルバイトを入れていた。それでも月収は10万円以下だ。

ライター駆け出しの頃は、とにかくチャンスをもらえることがうれしかった。それがやる気の源になっていた。だが少し仕事に慣れてきた3年目、2012年から少しずつ「これだけ自分を犠牲にしているのに全然結果に結びつかない」と思い始めた。桃栗三年柿八年と言うのに、3年経っても全然芽が出ない。書ける場所も増えない。就職だってできなかった。

「職業はフリーライター」と言えば「フリーターでしょ?」と鼻で笑われた。バイト先では「いい歳こいて夢見がちの独身フリーター」のように扱われた。校閲のアルバイトは怒られてばかりで、ストレスで胃炎やヘルペスなどが頻繁に出てくるようになった。知り合いと会うと「そんなつらい状況でよくやるね」と感心と呆然の間の表情を浮かべられた。

これでは埒が明かない。売り込みをしよう。と思い専門学校時代の講師に相談をすると「売り込みは“わたしは仕事がありません”と言っているのと同じことだ」「仕事がないやつに仕事を回したいとは思わない」という返答があった。

okicolumn16_1仕事もなければ売り込みもできない。そんな状況でどうしろというのだ。これだけ芽が出ないということは、わたしには才能がないんだ。このままずっと続けていても仕事なんて増えないんだ。もうすぐ三十路になるというのに全然稼げず、親を養うどころか迷惑をかけている。クレジットカードの審査も落ちた。いつまでこんなことをしているんだろう――そんなことばかりを考えていた。

だけど諦めきれなかった。その最も大きな理由は、この6年間、本当に本当に少しずつではあるが、ステップアップしていたからだ。自分に自信がないわたしでも、書けば書くほど文章力がちょっとずつ上達していたし、経験を重ねれば重ねるほど取材も文章も滑らかになっている手応えがあった。いまのわたしならば、もしかしたらチャンスがあるんじゃないか。そんななけなしの望みだけで続けてきた。

とはいっても、過去に5回ほど真剣に「あ、もう無理だ。諦めよう。この仕事を辞めるしかない」と心から素直に思うタイミングがあった。「いま抱えている原稿をすべて終わらせたら、もう完全に手を引こう。これが最後だ」。そう腹をくくり、穏やかさと寂しさを感じていると、必ず「あること」が起こった。それは他者からの言葉をもらうことだった。

最初に「もう無理だ。諦めよう」と思ったときのことを鮮明に覚えている。仕事が激減したことが理由だった。「今回はたまたまで、そのうち元に戻るだろう」と思っていたが半年経っても状況はまったく変わらず、2012年10月に「このライヴの仕事が最後の現場だろうな」と腹をくくった。その年の夏にインタビューをしたアーティストX氏のツアーファイナル。幕引きには十分だろう。

そんな気持ちのなか終演後の関係者挨拶に残った。関係者エリアにてフリーな状況の挨拶パターン。熱演でへとへとになったアーティストX氏がわたしを見つけるやいなや、顔を明るくして握手の手を差し出した。お会いするのは取材以来2度目。ライヴの感想を伝えていくつか会話を交わすと、X氏はこう告げた。

「あの作品のタイミングでいくつかインタビューを受けたんですけど、沖さんのインタビューがだんとつで良くて。これからもよろしくお願いします」

okicolumn16_3対人恐怖症がぬぐい切れていなかった当時のわたしはインタビューに超絶苦手意識があり、そう言われたことに本当に驚いたし、全身が震えるくらい歓喜した。自分は全然まだまだだけれど、何度もインタビューを受けている人がそう言ってくださっているなら、その言葉を信じてもう少し頑張ってみよう。わたしは諦めることを辞めた。とどのつまり、本気で諦めようと思ったタイミングで必ず「救いの言葉」をもらったのだ。

それはアーティストやアーティストスタッフさんだけに限らない。「あなたには才能があるから大丈夫だから。わたしが言うんだから間違いないから」と叱咤激励し続けた母。わたしの文章のおかしいところを細かく指摘してくれた弟。電話で世間話をしていたときに「そういえば最近文章うまくなったよね? この1年でメールもすごく読みやすくなったもん」と笑った友人。わたしの文章のこういうところが好きだとリプライをくださった読者さん。その言葉のおかげでわたしは続けてこれたし、それがなかったらとっくのとうに辞めていた。

本当に真剣に「もう無理だ」というタイミングで、刺さる言葉をもらった。守護霊か神かはわからないが、「もうちょっとがんばってみたら?」というお達しだったのだろうか、と思っている。だが同時に、心のどこかで「辞めたくない」と思っていたから、そういう言葉に敏感になっていなのかもしれない、とも思う。

わたしの場合は諦めの悪さが功を奏したが、諦めるという選択は悪いことではないと思う。でもその選択をする前に、先述のとおり「この半年で自分のスキルと状況に進歩を感じているか」を冷静に判断してもらえたらと思う。わたしは自分が芽が出ないことと同じくらい、才能があるライターさんたちがどんどんこの仕事から離れていったことがつらかった。あの人たちがあと1年続けていたら……というたらればをどうしても考えてしまう。

このワンタンマガジンも、仕事がないから書ける場所を作ろうと思ったことが設立の理由だったが、いまはありがたいことにワンタンマガジンを更新する時間をなんとか作るほどにお仕事をいただけている。遊び、結婚、社会的地位、お金、いろんなことを諦めたが、この夢だけは諦めなくて本当に良かった。言葉を掛けてくれた方々、肩書きもキャリアもないわたしを認めてくださった方々には頭が上がらない。

あなたのなにげない言葉も、誰かを救っているかもしれません。

 

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