就職できなかったフリーランスライターの日常(23)

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就職できなかったフリーランスライターの日常(23)
コロナ禍が浮かび上がらせたのは自分の弱点

世界的大流行の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)。1月20日くらいに中国での流行を知り、中国人で溢れかえる箱根の景色が身近なわたしはすぐさま警戒しはじめた。そのあたりから趣味である外食、温泉、観劇を制限し、仕事も直行直帰するようになった。今年に入り家族以外の人と食事をしたのは、1回きりだ。

同居している母が基礎疾患持ちの高齢者なので「母に感染させたくない」という一心で予防に予防を重ねている。それ以外にももし感染したら仕事先の方々にも迷惑を掛けてしまうだろうし、陽性反応が出てしまうとかなり面倒くさいことになりそうだ。びびり×面倒くさがり屋×ネガティブという三大ヘタレ要素が化合したことで、わたしは手洗いうがい除菌換気の鬼と化したのである(ただし他人に促すことはしても強要はしない、なぜならヘタレだから)。

okicolumn23_12月のライヴハウスクラスターの発生により、同月末にコンサートやライヴでの公演が難しくなり、決まっていたライヴレポートは軒並みキャンセルになった。4月に緊急事態宣言が出てからは公演中止だけでなくCDリリースも延期になり、3月に行った取材の記事公開も後ろ倒しになっていった。

となると4月5月の仕事もオファーが来る前にどんどんなくなっていく。この2ヶ月はほぼ働いておらず、4月は「まあのんびりできるか」くらいのテンションだったが、5月のGW明けにはだいぶ焦りも生まれ、せっかくライター10周年という節目を迎えるタイミングだというのに――もしかしたらそんなタイミングだったからこそかもしれないが――精神的にかなり参ってしまった。

その頃に手続きをした持続化給付金が5月末に入金された。ほっとする反面、非常に屈辱的だった(そのあたりはnoteで詳しく書いている)。そのとき、経済的な不安よりも、仕事をしたい場所から仕事がいただけないことがつらかったのだと気付いた。

okicolumn23_2緊急事態宣言が解除されたあたりから少しずつZoomを使用したインタヴューが増え始めた。対面ではない難しさは感じつつも、コロナ禍前からビデオ通話インタヴュー経験はそれなりにあったので、この状況で東京まで移動をする必要がないことは非常にありがたかった。生まれて初めて電話インタヴューも経験し、顔も見えないなかでお話を伺う不安も多かったが、インタヴュアーからの視線を受けないぶんお相手が話しやすそうな空気感もあり、最終的にはいいかたちで終わらすことができた。

7月に入り現場稼働が増え始め、先日取材2本のために3ヶ月ぶりに小田急に乗って都内へ行った。あれだけ毎日のように乗っていた電車、通っていた場所を1クールも利用しなくなるとかなり久し振りのような感覚があるかと思いきや、そんなこともなかった。おそらくこの3ヶ月間、わたしのなかの時計はほぼ止まっていたのだろう。特に4月5月はなにをしていたのかあまり覚えていない。noteで毎日つけている「おきのつぶやき日記」を読むと、古傷が痛むように思い出す。なかったことにしたいくらい、生きた心地がしなかった時期だったのかもしれない。

okicolumn23_3途中、下北沢で銀行に寄ろうとすると、駅前に東京都知事立候補者であるスーパークレイジー君こと西本 誠氏が街頭演説をしていた。「わあ、ネットでよく見かけるスーパークレイジー君だ」と思わず目で追ってしまった。このおのぼりさん全開の瞬間、自分が本当に刺激のない穏やかな生活をしていたことを実感した。

わたしが住む神奈川県西部の街では、有名人をこんなに間近で見ることなんてほとんどない。緊急事態宣言前はそんな刺激も当たり前であったが、3ヶ月でその感覚はリセットされていたのだ。その後も取材先から取材先までバスで向かうかタクシーを使うか悩んだり、六本木通りを全力疾走したり、道中車窓から見えたEX THEATER ROPPONGIのバブリーなLEDゲートに映し出された「WE BELIEVE OUR FUTURE」の文字に目を奪われたり、銀座線内で大声で話すサラリーマンにいらいらしたり、東京はいろんな仕掛けがたくさんある。アトラクションのようだ。

なにより人と会って話すのはやはり楽しいし面白い。3ヶ月ぶりの出来事は、緊急事態宣言前のわたしにとっては当たり前の出来事だった。だからこそ1日も早くウイルスなんて気にせず日常を送れるようになりたいし、行きたい場所に行きたい。なおのこと「今はとにかく極力耐えよう」と強く思った。

okicolumn23_4そしてライター10周年を迎え、さらに自分の足で歩く方法を模索する必要があるとつくづく思う。前述のとおり4月5月にほとんど仕事がなく、6月は3万弱、7月は5万弱の収入。編集部からギャランティをいただいて生計を立てている人間であり、仕事をいただけなかったからこうなった。noteやBASEというプラットホームを利用して自分の文章を売る方法を考えなくてはいけないと思ったし、声が無駄に通るので声を扱ったコンテンツを充実させるのも手段のひとつかもしれないなどと思う。音楽媒体以外のフィールドも切り拓く必要もありそうだ。

コロナ禍が浮かび上がらせたのは、目を背け続けてきた様々な弱点ではないだろうか。この状況でどう知恵をはたらかせて新しい人生を歩むことができるのか。ひとまず試行錯誤しながらいろんな可能性を試していきたい。

 

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