ひとりならではのバンド論 ブリキオーケストラが再会のなかで見つけた音楽のかたち
◆バンドを続けていたらこれまでの人生で違う道に行った人たちと、この先につながれる瞬間がもしかしたらあるんじゃないか
――公式サイトに掲載されている多田羅さんの手記に、ちーさーさんが「多田羅さんはいろんな人と一緒に音楽をやったほうが生き生きしてる」とおっしゃったことが書かれていましたよね。ちーさーさん、本質を突いているなと。
多田羅 でも言われた時は「何を言ってるんや」って感じでしたよ(笑)。やっぱり自分には「このメンバーでしか出せない音楽」というロックバンドの美学があったし、ちーさー、順矢、サポートベーシスト、俺という布陣は、自分のなかで完璧やったんです。
――だからこそショックも大きかった。でもブリキオーケストラを辞めるという選択肢はなかったんですね。
多田羅 意地もありましたね(笑)。あとは、バンドを続けていたらこれまでの人生で違う道に行った人たちと、この先つながれる瞬間がもしかしたらあるんじゃないか……という期待や希望もあったんです。仲が良かったけど疎遠になってしまった人のなかには、音楽をやっていたから出会えた人もいっぱいいて。自分がバンドを辞めていたらそれもなくなってしまうから、辞めるという選択肢はなくなったんですよね。
ブリキオーケストラ『THE LONG GOODBYE』(2015)
多田羅 お客さんもふと思い出して調べた時に「あ、まだブリキオーケストラ続いてんねや」と思って聴いてくれるかもしれへんし。……僕はそういう、時間を超えてお互いのストーリーがつながるのが好きなのかもしれないですね(笑)。
――ああ、再会というか。
多田羅 いまライブをサポートしてくれているベーシストの村田慎太郎くんとも、運命的な縁を感じる再会やったんです。彼とはもともとお互いのバンドの主催ライブに出ていたんですけど、お互い人見知りやからあんま話したことなくて。でも彼のバンドが休止してしばらくたって、ふと「いま何してんのかな」と思ってTwitterを調べてみたら、最終更新が僕のソロの「夢を見れない男の話」の再生画面を載せてたんですよ。
――へええ。それはとても運命的。でも選曲が意味深で。
多田羅 そうそう。なんとなく“夢を見られない”という彼なりのメッセージなのかなとも感じて。だから全然連絡したことないけど「最近どうしてんの? ちょっとスタジオ入ってみる?」とメールしてみたんです。そしたらバンドをやりたいけどこのご時世でライブもでけへんし、どう動いていいかわからない状態やったみたいで、彼にとってもいいタイミングやったらしくて。こういうつながり方の縁には、強さを感じるんですよね。自分的にも「よっしゃ、まだまだやったろ」とパワーになりました。
今日は多田羅さんとスタジオに入ったよ、音楽はいいものだ。
こんな久しぶりに緊張したのはいつぶりだろう、とても素敵な人だ、帰りにイヤホンがあってよかったな。 pic.twitter.com/YKCWyTA21f— 村田 慎太郎 (@shin_66) March 21, 2021
――ブリキオーケストラの物語はメンバー脱退というピンチをきっかけに新しい表現を見つけていて、そこからまた風向きが変わって。非常にクリエイティブだと思います。
多田羅 クリエイティブか……。ちょっと言い方が綺麗すぎるかも(笑)。もっと泥くさい感じです(笑)。
――ははは。必死に音楽にしがみついている感じ?
多田羅 そうそう、這いつくばってる(笑)。新しいチャレンジをしないと音楽が作れなかった。でも順矢とふたりで制作をして、弾き語りライブをやったりしているなかで、自分の好きな人が協力してくれるようになって……。自分が好きな人たちと、相思相愛で切磋琢磨しながらバンドをやれるのはすごく楽しいなと思うようになったんです。そのなかで「どうやったらこの人を生かせるかな?」と考えるようになって。
――「この曲には鍵盤ハーモニカが欲しいから、鍵盤ハーモニカの奏者を探そう」ではなく、「この鍵盤ハーモニカ奏者が好きだから、この人を生かした曲を作ろう」と思うことも増えていったということですね。
多田羅 そうですね。それがドラム、ベース、ギター、それ以外の楽器でも言えるというか。ちーさーが抜けた後のブリキオーケストラは、そのマインドで続いてきているような気がします。技術のあるなしではなく、かっこいいところを持っている人が僕にとっては魅力的で。その人の「かっこいい」を生かせる場がブリキオーケストラであればいいなと思うんです。
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メンバーの個性が生きると同時に、多田羅の人生や個性を浮かび上がらせる作品になった『THE WORLD IS MINE』。その本質を探る