カタオカセブン-2015.5.30 at Shibuya O-nest
カタオカセブン
“フォークとロック”ツアーファイナルワンマン
2015.5.30 at Shibuya O-nest
人生すべてを刻み込んだ歌とギターがもたらした
過去との邂逅と未来への希望
取材・文:沖 さやこ
撮影:植田 洋一
※ワンタンマガジン初の試み、ライヴレポート×アーティスト手記。アーティストとライターの言葉のセッションをお楽しみください。
目は口ほどに物を言う、という言葉がある。どんなに綺麗な言葉を並べたとしても、そこに心がなければ、はりぼてと同じようなものだ。心なくして、人の心を動かすことはできない。同様に、音は言葉以上に雄弁だ。ステージの上から発せられる音は、演者の“現在”であり、それ以上でもそれ以下でもない。アコースティック・ギター1本と自身の歌など、まさしくそれである。着の身着のままの状態で公衆の面前に立つのと同じこと。誤魔化しがきかない状況に自らを曝す、それは相当の勇気が必要なことであると思う。
昨年9月から始まった、カタオカセブン初のソロアルバム『フォークとロック』のリリースツアーが、夏を間近にした5月30日、O-nestでファイナルを迎えた。グランドピアノのSEと共に単身ステージに現れた彼は、アコースティックギターを抱えると、ステージ下手にあるマイクに向かってアルバムの1曲目である【百景】を歌い始めた。曲が進むにつれ、まずギターの音に驚く。打楽器のような強さと激しさ、そこに佇む弦という細い線が生む美しさと鮮やかさ、両者の色が同時に鳴っていた。彼の歌声も同様、その二面性を同時に発する。でもどちらにも涙が滲んでいるようだった。【生活をかく】はセンターに立ち、フットパーカッションを交えてひりついたギターと歌を放つ。軽やかさのある【名前】では語り掛けるように歌唱。だが優しいだけではない辛味が、ギターにもヴォーカルにも隅々に迸る。
「独特の緊張感のなかでツアーファイナル始まりました、イェーイ」と関西人らしいゆるめのトーンで、観客とラフにコミュニケーションを取る。だがゆるいと言っても一般的なそれとは違う。核にあるものは、いまこの空間に音を刻み込む覚悟だった。「僕の言葉と皆さんの感受性がぶつかり合うのを、最後までお付き合いよろしくです」と言い【dadd9】と【第三の詩】を披露。特に後者は、セブンのヴォーカルが歌詞に描かれた情景を鮮明に描きだし、この曲を初めて聴いた、その景色を見たことがないわたしですら、それをむかしから知っているような感覚にすら陥る。彼そのものが、自分自身に憑依しているようだった。
椅子に腰かけ、MCでツアーを振り返る。彼はこのツアーが始まるまで“ええかっこしい”だったそうだが、全国各地にいる音楽を鳴らす仲間たちが、動員数やCDが売れる売れないなど、そんなことは関係なく、とにかく本気で音を鳴らしていたことに胸を打たれ、「“ええかっこしい”なんて全然要らんなと思った」と言う。すると話はLONELY↑D解散以直後に回った、本人いわく「相撲部屋クラスのスパルタ」であったフォークロック戦線に参加していたときの話へ。その活動のなかで「CDを作りたい」と思い制作した『フォークとロック』が、「すごく音楽が好きな人や、すごく面倒臭い人、音楽をやっている人や仲間のような、評価してほしい人にはすごく評価してもらえたアルバムになった」と言う彼は、とても自信に満ちた表情だった。
大変失礼ながら、わたしが彼の音楽と初めて出会ったのは『フォークとロック』だった。そんな人間の推測でしかないが、MCの様子からも、彼自身はシンガーであり、詩人であるという自負が強い。だがLONELY↑D解散以降、フォークロック戦線でアコースティックギター1本とともにツアーを回ったことで、彼にとって音を鳴らす“手段”だったギターが、“相棒”になっていったのではないだろうか。アコースティックギターはこんなにいろんな音を出すことができるのか、と感服する。彼の鳴らすギターは彼自身であり、彼の言葉や歌やメロディのいちばんの理解者でもあるのだ。
すると突如彼が「ワンマン恒例休憩タイム!」と宣言し、観客も雑談や飲酒に興じる。そんなざわついたなかで、彼はおもむろに口を開いた。「僕は言葉を強めに投げる」「モッシュとかダイヴとか、わーって騒ぐようなものもないけど、僕の言葉を聴いて感じてくれるというのが(観客の)表情からわかって、伝わってんねやなーと。それがカタオカセブンのライヴのいいところやなと思っている。みんなありがとう」と語ると、何かを感じたのか、突如衝動的に「もうやるで、休憩タイム終わり!」と言い放ち、【対照】【逆流を見ていた】【FOLK】と、内面をむき出しにしたようなスリリングな音像で魅せる。それは、いつもどこか苛立ちを感じている人間の生む緊張感と思慮深さでもある気がした。「変わりたい」「変えたい」「掴みたい」、そんなエネルギーを感じたのだ。上っ面の言葉と音では、人に向かって突き付けることはできない。生粋の歌うたいのカタオカセブンには、いまギターという唯一無二の相棒がいる。いまだから歌える歌がある。それは彼が彼の人生で手に入れた宝だ。【最果てから】を聴きながら、そんなことを思っていた。
セットチェンジを行い後半戦。ベースにUSE/ ABSTRACT MASHの梨本恒平、ドラムにUSE/ ex HOW MERRY MARRYの河添将志を招き、3ピース編成でのライヴへと切り替わる。当たり前のことかもしれないが、セブンの歌の響き方が、弾き語りとバンドではまったく違う。弾き語りは彼の人生や感情を聴き手のこちらがもれなく全部受ける感覚だったが、バンドになると、メンバーふたりが溢れだす彼の想いをしかと受け止め、サウンドに落とし込んでいるようだった。ゆえにバンドの音像は、nest全体をあたたかく包み込む。LONELY↑D時代の楽曲【サボテン】では、LONELY↑D時代に観客がやっていたノリ方を強要(?)し、フロアにその光景が広がると本人も思わず「チャラい!!(笑)」と叫ぶ。こういうことができるのも、このロングツアーを乗り切ったこのタイミングだったからなのかもしれない。【ハルアシンメトリー】も、彼の歌には当時の自分を救い出すようなあたたかさがあった。過去の自分に「いまこうやって歌えているのはお前のお陰だ」と語り掛けているようだったのだ。
「20代のときのほうが見栄張ってたし、嘘ついてた感じがすんのよ。でも30代になって、かっこいい感じじゃなくてもいいんじゃないかな、と思って。自分に正直になれてるなと思います」と語った彼はこう続ける。「バンド/弾き語り仲間には、売れてる人も売れてない人もいて、いろんなところで音楽シーンどうこうという話も出てますけど、音は鳴らさな始まらないんで。音楽は音を鳴らさないと絶対だめ」「最後に旅の歌を歌って帰ります。来てくれた人すべてにありがとう。みんなそれぞれのフィールドで戦って、またライヴで笑いあって、楽しみましょう」と言い【青春、それは落日に似ている】を披露した。〈旅が始まる 終わりが始まる〉という言葉は、ツアーファイナルを迎える彼の象徴のような言葉だった。
アンコールでは再びバンドで登場し、彼は「歳を重ねてきたからこそ向き合える音楽の在り方ってあるやん。むかしは楽器ももっといい加減に鳴らしてたけど、いまは違うもんね。一発一発ほんまに届けたいと思ってるし、このチャンスしかないんじゃないかと思ってる。自分が世界でいちばん脂が乗ってるとは思わないけど、いい感じに脂乗ってるよ」と嬉しそうに語り、新曲【いつか君を迎えに行くよ】を届けた。彼がいつか迎えに行きたい人とは、自分自身のことだそうだが、この日彼はちゃんと過去の自分と向き合えていた気がする。とても純粋で、美しく、〈いつか君を迎えに行くよ〉という言葉が繰り返されるたびに、音とともに強くなっていくようだった。まだ見ぬ“いつか”の未来に向かう希望が、会場すべてを笑顔へと導いた。旅が終わる瞬間に、また新しい旅が始まった。彼はこれからも毎日で“終わりが始まる”を繰り返し、“現在”の自分全部で、音にぶつかっていくのだろう。
×
手記:カタオカセブン〆
2015.5.30が終演し楽屋に戻って直ぐ頭にあったのは、
「東北に行きたいな、帯広に、甲府に、岡山に、広島に行きたいな。演りたいな。会いたいなぁ。」だった。打上げに入っても、全国で対面したこの旅の大事なシーンと顔がアルコールと融けて脳裏をずっとかすめていたような気がする。
そうか。これは余韻だ。
あ〜良かったよねぇ、とか懐古主義的なそれとは違う所謂、余韻。今カタオカセブンのツアーファイナル公演に来場された方に、少なくとも翌日〜くらいまで、余韻を残せたと自負させて頂く。良いライブ、良い音楽、詞(コトバ)には余韻が確かに残り、その余韻は人を豊にする。と思っている。
気付けば板(ステージ)の上に立ち16年。衣食住に不可欠で無い音楽が、人生を豊にする余韻を持っている事を俺は知っている。そして俺はようやく、その余韻を表現できるアーティストになりはじめた。石の上にも3年など、ちょろいわ〜。
当レポートを執筆してくれた沖さんと初めて仕事したのは、AL『フォークとロック』のメールインタビューだった。インタビューの切り口、斜めやな〜という印象と、その斜めな切り口に信念と情熱を感じたのを確かに記憶している。そのインタビュー公開後、俺はTwitterで直接御礼を言った。
その後、沖さんが主となったwebマガジン「ONE TONGUE MAGAZINE(以下OTMG)」が立ち上がったニュースを知り、俺はOTMGをコマメにチェックした。多少の趣味趣向はあるかもしれないが、文面の切り口の鋭利さは増し、また斜め具合のセンスに俺はOTMGのファンになった。スタッフからツアーファイナルのレポートの話があった時、おれは真っ先にOTMGが良い、とゴリ推しして、なんなら勝手に直接沖さんに連絡し、当レポートを決めさせてもらった。
あまり書くと宣伝ぽくなるのでこの辺にするが、俺と沖さんは5.30、ツアーファイナル終演後に初めて会った。
【ハルアシンメトリー】も、彼の歌には当時の自分を救い出すようなあたたかさがあった。過去の自分に「いまこうやって歌えているのはお前のお陰だ」と語り掛けているようだったのだ。 (※ライヴレポートより引用)
昔話をする。
2011年ミナミホイールというイベントが実質LONELY↑Dの最後のステージになった。その時には既にバンドは崩壊しており、そのステージには俺以外、皆サポートメンバーで演奏をした。確か、ラスト曲だった。「ハルアシンメトリー」という、デビュー曲を演奏した時、「もう止めてくれ、もういいだろう」そんな風に演奏中にも関わらず“曲に”言われた気がした。2008年に田舎の2階の部屋で作曲し、2010年にデビュー曲となった曲に、メンバーも居なくなった俺に、痛々しい俺に、曲が確かにそう言った。その時に解散を決めた。
LONELY↑Dは俺自身だったし、状況はどうであれ独り続ける事も出来た。そんなバンド仲間も好敵手もたくさん知っていた。ファンタジーな理由だろう爆。解散を決めた理由、かわいいやろう。今だからこうして書けるんだが。
沖さんのレポート原稿、上記「ハルアシンメトリー」のくだりを読んだ時、目頭が熱くなった。当時の事を思い返したからじゃない。もういいだろう、と曲に語りかけられた事は俺の勘違いじゃなかった。仕込みでもなんでもなく、初めて会う人もそう感じたんだな。
俺は間違ってなかった。
救われた。
閑話休題。
良いツアーだった。全てが露呈したツアーだった。一生懸命やった事も報われた事も、悔しかった事もサボった事も。間もなくAL『フォークとロック』が世に出て1年が経とうとしている。リード曲のMVは1年で約9,000回YouTubeで再生されている。とても便利な時代だ。おれのMVは1年で約9,000回求められたって訳だ。この再生回数は決して多くは無いのかもしれない。職業ミュージシャンとすれば致命的かもしれない。
けどな、書かせてもらう。再生回数で、その音楽や詞の善し悪しを計ってくれるなよ? 広告で判断してくれるなよ? 本質は音楽でも詞でもなく、人の耳と感受性だという事。忘れたら、アキマヘンガナ。
俺は誇りに思う。1年で約9,000もの数を求められた事を。お客さん、仲間、先輩、スタッフ、皆にその数を求められ支えられた事を誇りに思う。俺はYoutubeプロモーションもTwitterプロモーションもしていない(プロモーションが良くないと言ってる訳ではないので誤解しないように)。1年、その数だけカタオカセブンのクリエイトが求められたという純粋なる事実だ(セブンやエイトや、ややこしくてご(ry。人生において、そんなに求められる事ってなかなか無いでしょうよ。
同志よ、音楽鳴らし続けよう。
今足掻いてでも鳴らさなければ、アーティストの居場所は愈々、失くなっていく。
変革期がきている。