People In The Boxが最新2作で説く多義的な物語 ――波多野裕文の感性と知性を探る(後編)

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◆僕にとっての「野蛮」の対となる概念は「知性」

――【映画綺譚】や【野蛮へ】には〈映画〉が、【セラミック・ユース】には〈音楽〉という言葉が出てきます。震災のときに「音楽の存在理由は?」という話が出たりもしましたが、わたしにとって文化は人生を豊かにするもの、生きているなかで感じるつらさをやわらげるものなんです。完全なる推測ですが、文化が曲で描かれているということは、人間が文化ではなく“野蛮へ”と進んでしまっている、ということなのかなと思ったのですが。

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『Talky Organs』(2015年)

あー……僕のなかでの「野蛮」の対となる概念は、文化というよりは「知性」なんですよ。もっと知性を大事にすべき、意識すべきなんじゃないかと僕は思ってますね。戦争なんて……同種族の殺し合いなわけですよね。動物が同じ種族でけんかをしたり、縄張り争いをすることはあると思うんですけど、殺し合うなんてことはないわけで。そう考えると……「生命原理を動物に学ぶって、知性ってなんやろか!?」ってなりますよね?(笑)

――なりますね。本当にそうだと思います。でもその「野蛮」に進むというのは「知性」が私利私欲にはたらいている、という考え方もできるのでは。

そうかもしれないですね。でも僕思うんですけど、「自分のことしか考えない」というのを究極的に突き詰めると、全体の問題に絶対になると思うんです。

――はい、そうなるはずだと思います。

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『Calm Society』(2015年)

僕なんかは自分のことしか考えてないので(笑)、そうなると「社会」や「他人の理解」というものは切り離せないんですよ。そこは社会構造の話にもなってくるので一概にも言えないですけど。僕は「社会のことを考えなければいけない」とは思わないけど、僕自身が「社会のことを考えていないと不安」なんです。……でも「考えない」というのは、僕は幸せなことだと思いますよ?(笑) わかるんですよ、僕もむかしは考えない人間だったし。

――『Calm Society』と『Talky Organs』は、そういうことを考えるきっかけになると思います。

そうですね……ただ、そうなってほしい気持ちは半分あって半分ないんです。それは、まず作品が単独で美しくあってほしいという気持ちがまずあるから。だからなるべくアジテーションからは離れるように離れるように、がんばりましたけど。

――歌詞カードの字面も美しいですし、語感やヴォーカルを含め、すごく心地いい音だと思います。【逆光】のサビのファルセットとオクターブ低いヴォーカルが重なるところなんて、本当に眩しすぎるくらいの光と影――それこそ逆光を感じましたし、波多野さんのああいう声遣いは新しさを感じました。なので多義性は歌詞だけでなく、People In The Boxの音楽そのものにあるものだなと。

ああ、それだとうれしいですね。

>> 誠実に、胸を張って音楽ができている

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