漫画家であり音楽家、感傷ベクトル・田口囁一が向き合う“ひとりだからできること”

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感傷ベクトル・田口囁一が向き合う“ひとりだからできること”

取材・文:沖 さやこ

 

漫画家でありヴォーカル、ギター、ピアノ、作詞作曲、作画を担当する田口囁一と、脚本家とベースを担当する春川三咲による2人組ハイブリッドロックバンドとして2012年にメジャーデビューをした感傷ベクトル。だがことしの2月春川が音楽活動を休止。感傷ベクトルは「田口囁一を中心としたメンバーで構成されたバンドでありサークル」になった。現在感傷ベクトルは新体制で活動中で、現在の編成になってから初のワンマンライヴも成功。漫画家としても新連載が決定し、楽曲提供などもありバンドとしても個人としてもかなりいい調子ではあるが、「感傷ベクトル、田口ひとりだけになって正直どうなの?」と思っているリスナーも多いはず。そんな素朴な疑問を解明するという趣旨で、現在の状況や、いま春川に対して思うことなどを田口囁一に直撃した。

 

senvec_taguchi◆感傷ベクトル
感傷ベクトルは田口囁一(漫画家・作曲家)を中心としたバンド、または同人サークル。2007年より「感傷ベクトル」名義で音楽活動を開始。2009年ジャンプSQⅡ掲載「ReLive」で漫画家としてデビュー。2011年より「僕は友達が少ない+」「シアロア」を連載。2012年ビクター・SPEEDSTAR RECORDSよりメジャーデビュー。その他、楽曲提供や劇伴制作なども行っている。

 

◆最終的には「続けることがすべて」だと思った

――まず、いま囁一さんが、音楽活動を休止なさった春川三咲さんに関して思うこととは?

……実は俺が春川にフラれるの、高校時代に組んでたバンド時代を含めて、これが二度目なんですよね(笑)。春川に対しては、腹が立つこともあれば、罪悪感もあります。

感傷ベクトル『シアロア』(2012年)

――というのは?

腹が立つのは、彼には大きな宿題があったんですが、それを達成できないまま諦めてしまったこと。罪悪感はそういった実力以上の成果を求められる世界、具体的にはメジャーの音楽業界に彼を引っぱり込んでしまったことです。『シアロア』(※2011年6月から10ヶ月にわたり、感傷ベクトルウェブサイト上で行われた、漫画と音楽を毎月連載するプロジェクト)を始めたときはいまと同じように「田口囁一を中心としたサークル」だったんです。メジャー・デビューするにあたって、春川がほとんどの楽曲にに参加しているなら正式メンバーとして活動していったほうがいいのでは、という話になって2人組の感傷ベクトルがスタートして。俺もそのほうが楽しいと思って、結構簡単に引き入れてしまいました。

――それが罪悪感?

はい。俺はエゴが強すぎるので、あいつが力を発揮したり、成長する機会を奪ってしまったり……とにかく振り回してしまった。本人は俺のエゴに対してすごく気を使ってくれていて、「感傷ベクトルは田口のもので、自分はそれを手伝えればいい」とまで言ってくれていたんです。でも2人組をうたうなら2人の実力は均衡して見えなきゃいけない。そういう売り出し戦略や周囲の目との間で板挟みにされて、やりづらかっただろうと。

――その後春川さんはお元気そうですか?

元気そうです。いまは文筆業を中心に仕事をしていて、いままでお付き合いがあったラジオさんや以前お世話になったレーベルの宣伝担当さんとかのつながりもあって、感傷ベクトル在籍時よりも書く仕事が増えている(笑)。順調だと思います。

感傷ベクトル『シアロア』(2012年)

――それは良かった。春川さんが音楽活動を休止なさって、2人組のハイブリッドロックバンドから「田口囁一を中心としたメンバーで構成されたバンドでありサークル」に戻った感傷ベクトルはどうなりましたか?

環境が変わった直後は何をしたらいいのか全然わかんなくなっちゃったんです。感傷ベクトルが外からどう見えているのかもわからないし、自分にとってもどんなものなのかわからなくなっちゃって……相当嫌になっちゃって。だからやめようかと思った時期もあったし、名前を変える案もありました。でも最終的には「続けることがすべて」かな、と思って。

――なぜその結論に?

これまでは自分の狙いと違ったところ、自分の素の部分がぽろぽろ出ちゃってたと思うんですよね。それが嫌だったんですけど、やめていちからスタートして構築したところで、その素の部分はどうしても出ちゃう。いまこの瞬間を変えるものだけに過ぎないなと思ったんです。感傷ベクトルでいままでやってきたことは十字架になったとしても、ずっとそれを背負っていくことによって、どうしても曲げられない自分の色、自分でも嫌な自分の色に時間というものが加わって、熟成される日が来るんじゃないか――そういうふうに自分を納得させ、一応の落ち着きは取り戻した感じですね。それが今年に入ってからくらいです。

――CINRAでクラムボンのミトさんと対談なさったあとくらい?(※2016年1月上旬に公開)

ああ、あの対談をした次の日に事務所を辞める決断をしたんです。こう言うとミトさんに責任をなすりつける感じになっちゃうかもしれないですけど(笑)。

――ははは。でもそのときにはもう、囁一さんのなかで気持ちは決まっていたんだと思いますよ。ミトさんの言葉はその後押しになったんでしょうね。

そうですねえ……。本当にあの対談は自分にとってでかかったですね。現在はやっといろんなことが落ち着いてきて、いろんな方針も決まりつつあります。

>> 漫画と音楽の間に“田口囁一”という同じ人物がハブとして存在できると思った

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