音楽を諦めたblgtz・田村昭太はなぜステージに帰ってこれたのか――4年半で得た自信と新たな発想
◆いち個人としていろんな人と接して生きていくことで変わった
――ブログによると田村さんは2016年の春、閉鎖病棟に3ヶ月入院なさっていたとのことですが。
その頃にはもう音楽をやめた気持ちでいて。それまでは音楽の業界のなかでしか人付き合いがほとんどなくて、ひとつの世界しか知らなかったんですけど、そこに行ったらいろんな人がいたんですよね。中には中の社会があって、「ものを作るというフィールドとは全然違う場所にいるんだな」と目の当たりにしたような……。落ちたことで落ちた先を見てきたような感覚でした。この4年半は自分の屋号を取って、ただのいち個人として普通にいろんな人と接して生きていかないといけない――そこでかなり変わったんだと思います。ずっと自分が変にこだわっていた肩書きみたいなものを捨ててしまうと、気が楽になったというか。だからこうやって話しているのも自然とセッションしているというか、何も構えなくなったところはありますね。最近は散歩していても楽しいと思うし(笑)。
――一旦休止したからそう思えたということですか?
一旦休止、というよりは一度諦めた。捨てちゃった。それが大きいんじゃないかと思います。それまでは自分のキャラクターにとらわれたりとか、ずっと頑なに活動をしていた。諦められなくてずっと苦しんでいたんですよね。でも一度諦めたことで荷を下ろせたというか。昔はもっと潔癖な感じで音楽を扱っていたのが最近はカジュアルになって。普通のリスナーの人たちと同じような感覚で聴けるようになったんです。それから結構(音楽と向き合うことが)楽しくて。長い目で見れば少し休む時期があってよかったなと思いました。
――その前までは背負いすぎていたのかも。
うん、そうだと思います。自分がいなくなっても誰も何も思わないだろうと思ったし(笑)、伸び悩みも感じていたし。認められないことへの苛立ちも強かった。だから『同時に消える一日』(※2011年11月リリース、フルアルバム)とかはそういう怒りや苛立ちが入った曲も多くて。それで変わろうとして苦しんでいたところもあったと思います。「昔のほうが良かった」と言われることにも「無責任だな」と感じるくらい疲れていて……そのあたりから卑屈になっていきました。だったら活動を続ける理由もないし。
――第三者の言葉に思うことも、いろいろあったんですね。
お客さんから「blgtzの隠れファンです、頑張ってください」と言われたことがあったんですよ。「自分は隠さないといけないくらい恥ずかしい存在なのかな?」と思って落ち込んだり……(笑)。
――悪意も何もなく「密かに応援しています」ということなんでしょうけど……。卑屈になっているときだと、なかなか受け取れる言葉ではない。
卑屈だし自信もないし、弱っているときにはヘヴィでした。弱っていると人は離れていっちゃうし……それは自分が気を使わせているのもあるんだけど、孤独感は増していきますよね。でもいまは音楽のことを考え過ぎない時間も増えて。だからいまは素直だし、すごくいいですよ。