ザ・スロットル、自らレッテルを剥がした第2フェーズの“NEW侍ロックンロール”(前編)
ザ・スロットル、自らレッテルを剥がした
第2フェーズの“NEW侍ロックンロール”(前編)
L→R
菊池 藍(Ba)
熊田 州吾(Gt)
飯笹 博貴(Machine)
成田 アリサ(Dr)
高岩 遼(Vo)
NEW侍ロックンロールを標榜する5人組、ザ・スロットル。2016年12月に活動の軸となっていた路上ライヴのファイナルを迎え、その後はメンバーチェンジとアルバム『A』の制作と、彼らにとって2017年は環境の変化が際立つ1年間になったと言っていいだろう。今回ワンタンマガジンでは変化を多数迎えた彼らの現在位置を探るべくインタヴューを敢行。インタヴュー前編では路上ライヴのファイナルを迎えたときの心境、新メンバーである2名の加入と、『A』の制作背景など、バンドの活動経緯をさらっていった。
取材・文 沖 さやこ
撮影 nishinaga “saicho” isao(website)
ザ・スロットル
メンバー全員が某音楽大学のジャズコースにて出会い、2013年5月25日に高岩 遼、熊田州吾、田上良地、成田アリサの4人で旗揚げ。路上ライヴを中心に活動し、2015年は路上ライブで集めたチップのみで会場・路上限定CD『GREATEST HITS』を制作。2000枚を即完売させる。同年10月26日には、主催イベント「THE THROTTLE 『GREATEST HITS』Premium Release Party ~革命~」を渋谷WWWにて開催。兄弟バンドでもあるSuchmosやSANABAGUN.ラップ担当の岩間俊樹のソロプロジェクトを招き、収容人数450人の会場に約600人を超える観客が詰め寄せ、そのライヴで向後寛隆の加入を発表する。2016年9月7日に初の全国流通盤『LET’S GO TO THE END』をリリース。2016年12月に路上ライヴファイナルを新宿駅南口で行い、約600人もの人が集まった。2017年5月にオリジナルメンバーである田上が脱退し、新メンバーとしてメンバーと同じ大学に通っていた菊地 藍と飯笹博貴が加入。同年10月のワンマンライヴをもって向後が脱退。現在は5人で活動している。リーダーの高岩は、ザ・スロットルと同時期に活動を開始した生演奏HIP-HOP バンドSANABAGUN.でもヴォーカルを務めている。
◆路上ライヴを終えたあとは「ようやく次のステップに行ける!」という喜びがあった
――路上ライヴを2016年12月に終了させたのは、バンドにとっても大きなターニングポイントだったのではないでしょうか。
高岩 遼(Vo) ザ・スロットルのフェーズ1の手段として選んだのが路上ライヴでした。ドラムを持ち込んだバンド・セットで日本の路上でライヴをやった回数で言うと、たぶん俺らはキングオブキングだと思うんですよ(笑)。
熊田 州吾(Gt) 別にそれを狙ってたわけではないんだけどね(笑)。
高岩 図らずもそうなってしまったというね(笑)。そのなかで“路上ミュージシャン”というレッテルを貼られるようになって、ライヴハウスに観に来てくれる人が少なくなってきたんです。このままこれを続けていたら、俺らが思い描いているスターダムへとのし上がるのは無理だなと思った。それで当時のメンバーで「路上ライヴをやめよう」という話でまとまりました。
成田 アリサ(Dr) だから終えたときは「やっと終えられた! ようやく次のステップに行ける!」という喜びがありましたね。
――路上ライヴ最終日には、新宿駅南口に約600人の観客が集まりました。
高岩 「このパフォーマンスで人が集まった、ザ・スロットルやっぱイケてんじゃない?」という妙な自信はありましたね。タフにやってきた甲斐があったと実感しました。
熊田 もともと路上ライヴは次のステップを見据えて始めたものだったので、言ってしまえばやめるつもりで始めたものだったんですよね。だから路上ライヴをやめたことによって一度終止符を打って、次の動きに転じようという前向きなモチベーションでした。とは言っても路上ライヴは続けていただけあってライフワークにもなっていたので、終わらせたあとは胸のなかにぽっかり穴があいた感じにはなって。
高岩 確かにね。
熊田 皮肉なことにもね(笑)。路上ライヴをやめたことでバンドの活動スタイルもガラッと変わって、「よっしゃ次だ! スターダムのし上がろうぜ!」という心境ではありましたね。
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新メンバー2名の加入と音楽性の変化
“Machine”というパートを増やした思惑は?