佐藤静奈、小高芳太朗、聖絵、3人のソングライターが考える言葉と音楽の世界

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◆ソングライターはどんなときに「やりきった」と感じるのか? 3人それぞれが考える「曲が完成する」とは

――佐藤さんは2ndミニアルバム『フーカ・リッカ』の表題曲【フーカ・リッカ】をお作りになったときに「やりきった! 出し切った!」と思えたそうです。小高さんと聖絵さんはそういう感覚を得たことはありますか?

ss_teidan_3聖絵  曲を作っている間は「ここの音がまだ揺れてるな」「この音がしっくりきてないな」と気になる細かいところを一つひとつなくしていって、その分子が動かなくなった時に曲が完成した!と思いますね。その瞬間に自分から離れていくような感覚がある。

小高 全曲我が子だと思って作っているから、同じだけ生みの苦しみがあります。デモを上げた時も「できた!」と思うし、歌詞を書きあげた瞬間も「できた!」と思うし、そのたびにやりきった感覚もあるかなあ。でも実際ライヴでやってみると自信満々の曲がそれほど盛り上がらなかったり、「あれ? この曲が?」と思う曲がすげえ盛り上がったりする(笑)。

佐藤 あるある(笑)。

ss_teidan_4小高 俺は聴き手に届いて初めて音楽になると思っているから、俺にとって聴き手のリアクションは大事やし、みんなが聴きたい曲を演奏したい。抽象的な言い方になっちゃうんですけど、ライヴの時に本っ当にたまに、すべてがひとつになるような感覚が生まれる時があって。スターマリオ的な無敵感。その時に「あ、この曲はこういう曲だったんだ」と思ったりもしますね。

聖絵 その感覚、わかる気がします。

小高 そんなに頻繁に起こることじゃないけど、俺もお客さんだし、お客さんも俺だし、俺がギター弾いてベース弾いてドラム叩いて全部がぐっちゃぐちゃになってひとつになるような感覚というか……。それがすごく気持ちいいんですよね。

ss_teidan_12――音楽家は作品を完成させたあとに何度も演奏していくから、楽曲が育ったことを実感したり、自分の成長があるたびに新しい達成感が生まれるのかもしれませんね。

聖絵 たしかに。デモ完成、レコーディング、ライヴ、それぞれに違う「やりきった」がありますね。静奈さんの【フーカ・リッカ】はどんな「やりきった」があったんですか?

佐藤 【フーカ・リッカ】のレコーディングを終えた時に、初めて「隙がないものができた」と思ったんです。ここに至るまでに紆余曲折があって――この日までにオケのデモを作らないといけないというタイミングの前々日の寝起きに降ってきた曲なんです。その段階でだいぶ音像が固まっていたので、直感的に「青森の冬の曲だ」「あ、いまデモを作れば間に合う!」と思ってデモを上げました。でもそこまで見えているのにもかかわらず、歌詞になにを書いたらいいのかわからなかったんです。


【MV】佐藤静奈 / フーカ・リッカ

――というと?

佐藤 東京に出てきて7、8年経って、物理的な距離感から青森の肌感覚を忘れているなとも思った。そんなときに津軽周辺の風景を撮っている弘前市在住の写真家・柴田 祥さんが東京で個展を開催なさることをTwitterで知って。その個展が「津軽再考」といって、約6年半撮り続けた津軽の写真だけを選り集めて“津軽について再考する”というテーマだったんです。わたしは地元に住んでいた時代にいい記憶があんまりなかったので、その写真展でつらかったときのことを思い出そうと思って(笑)。でも実際行ってみると、考えていたよりもつらくなかったし、自分の記憶よりも綺麗な場面も多くて。柴田さんの写真をこの曲のゴールにすればいいなと思ったんです。そのあとも歌詞を何度も校正して……そういう一つひとつがあったから生まれた曲なので、完成したときに「やりきった!」と思えたんですよね。

ss_teidan_5――『フーカ・リッカ』のジャケットに使われている写真も柴田さんのものなんですよね。

佐藤 そうです。在廊していた柴田さんとも直接お話ができたので、その会話を通して感じたこと、考えたことも歌詞に反映されていますね。青森で生まれ育ったからこの曲が書けたんだ、青森に生まれて良かった!と思えた、人生ひと区切りの曲でもあります。

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