就職できなかったフリーランスライターの日常(17)
2012年4月から開始予定だった編集部のアルバイトの話がフェードアウトした。気を取り直して5月からバイト探しを始めるが、条件に合うところがなかなか見つからない。これは楽しそうな職場を探したいなんて言ってられないぞ、と思いなんとか6時30分から10時までの勤務時間で、最低賃金からプラス50円だった大手企業内に設置された社員専用の売店のレジのアルバイトを見つけ、採用してもらった。同じ時間に同じ品物を同じように陳列し、同じ時間に同じ人が同じものを買っていく。窓もなく薄暗い、閉塞感のある空間。いらっしゃいませ、○点で○円でございます、○円お預かりいたします、○円のお返しです、ありがとうございます、のエンドレスリピート。どんどん自分が無感情化していくのを感じた。完全にお金だけのために働いていた。
その傍ら、声を掛けていただいてウェブサイトの記事更新のアルバイトを始めた。自分のスキルにも結び付きそうだから始めたのだが、これがなかなかシビアだった。自分の融通がきく時間で記事をアップしていただけだったのが、時間指定や記事本数も増え、ほかの人の記事を校閲することにもなり、責任も大きくなっていった。ライター業も仕事は増えども無名ゆえに収入はさほど増えず、精神的にも時間的にも体力的にもどんどんキャパオーヴァーに。NOと言えない日本人は、自己犠牲するしか方法がなかった。ここからわたしは大きく身体を壊す機会が増えた。稼げないライター仕事、無感情と化す早朝売店バイト、365日24時間稼働を余儀なくされる責任重大のウェブバイト、寝る時間はほぼなし、つねに体調不良、収入10万前後。この4年間、表向きは売れっ子アーティストのインタビューにも恵まれ、着実に少しずつライターとしてステップアップしていたが、その裏ではつねに六重苦だった。
ここまで読んで皆様は「ほかのバイトがあるでしょ?」とお思いだろう。だが少しでも多くライター仕事が受けられるようにしておくためには、バイトはライター稼働が入りにくい深夜2時~正午しか不可能だったのだ。夜勤は身体がもたなさそうという理由で、早朝勤務の術しか残されていないことに加え、早朝から4~5時間勤務できるバイト先はそうそうなかった。
もちろん「正社員になって、その合間にライター活動をしたらいいのでは?」と考えたこともある。だがアルバイトだけでこれだけ疲弊していて、バイトでも休みを取るのが難しいのだから兼業は無理だと思った。なによりも、やりたいことがライター業くらいしかなかったし、自分が会社員になって兼業するイメージが一切わかなかった。おっと、どこからともなく「社会不適合」や「音楽媒体への就職目指してたんちゃうんかい」という野次がイヤホンの音漏れのごとくしゃかしゃかと聞こえてくるぜ。このころにはもう音楽媒体の就職は頭になかった。だが音楽媒体関連の仕事を目指す方々には真っ当な「就職」という方法をおすすめする。
そんな四面楚歌なわたしを見ていて、ふたりの人がアドヴァイスをしてくれた。ひとりは「もうライター仕事を辞めてほしい」、もうひとりは「思い切ってライター仕事だけに絞ったらいいと思う」という提案だった。
まず前者の言い分は「苦しそうなあなたを見ているのがつらすぎて耐えられない。ライターを目指すことを辞めれば、アルバイトも全部辞められる。あなたも苦しいことから全部解放されるじゃないか」というもの。だが二十歳すぎて何百万もかけて専門学校に入学し、数年の歳月を費やしてこの夢を追って、ライター業に関しては少しずつだがスキルアップしているし、文章に関してあたたかい言葉をかけていただくことも多かった。なによりこの仕事が好きだったため、諦めることができなかった。
後者の言い分は「思い切ってライター業だけにしたら、ライター業だけでなんとか生活しようとあがくようになるよ」というものだった。だがライターとして無名で、ライターとしての稼ぎだけだと月に2、3万円、多くて5万弱という状況のなかアルバイトを辞める決断をすることは、度胸のないわたしにはできなかった。
両極端の提案のようだが、ふたりの言い分で共通していることがある。それは「辞める」という選択だ。前者は「俺は思い切って会社を辞めたら、もっといい場所に就職する機会に恵まれた」とも話していた。断捨離と近い理論だろう。だが極度のビビリ&チキンのわたしは、手放すことができなかったのだ。
そんななか、2015年の夏に「これはもうすべてにおいて限界だ」と感じ、意を決してまずウェブサイトのアルバイトに退職申請を出した。業務を請け負いすぎていたため、人材育成と引継ぎに何ヶ月かかかった。その後アルバイトはお金のためだけに働く売店バイトだけになり、ライターの仕事に時間を割けるようになって文章や取材の質も格上げされた気がした。だが売店のバイトはもともとの地獄に加え、売店の入っていた企業の社員が他支部に大異動していったため売店の売り上げが激減。人件費カットで勤務時間も短縮されながらもしぶしぶ働いていた。だが2016年9月、どんな原因だったか失念したが「もう我慢の限界や、こんなところで働いてられっかああああああ」とブチギレた出来事があった。その勢いのまま退職申請を出した。
啖呵を切って退職宣言しまったものの、収入の算段は立っていない。とはいえバイトバイトバイトで疲弊していたのは確かなので、売店バイトを辞めて1、2ヶ月くらいのんびりアルバイトを探すことにした。だがそのタイミングからアニメ系の媒体の取材が増え、新しいアルバイトを探す時間がなくなってしまった。こうしてわたしはぬるっと専業ライターへとシフトしていった。
就職活動も、ライター活動とアルバイトが忙しくて手が付けられないままいまに至る。なにかもっとかっこいい劇的なターニングポイントがあれば恰好もつくが、そうじゃないところも就職できなかった落ちこぼれらしい。アドヴァイスしてくれたふたりが言っていたように、新しいチャンスが訪れるのは、なにかを手放したときなのかもしれない。それがわたしの場合、「限界に達して危機を感じたタイミング」だったということだ。
六重苦の最中の2014年、なんとか光を差し込ませようと、仲間の力を借りながら地を這うように立ち上げたのが、このワンタンマガジンだ。すべてを断ち切る勇気がなかったとも言えるが、終わらせずにウェブマガジンを開設する決意をしたことは、なかなか気合いが必要でもある。昔の自分は本当に、目の前のことに対して愚直によく頑張っていたと思う。
あの時から比べると恵まれすぎているいまの自分はどうだ? 「おいおい姉さん、ぬるなってんちゃうん?」と昔の自分が血走った眼でにやにやしながら胸倉を掴んでくる。来年の5月でライター10周年。わたしも目の前のことだけでなく、この先のことを考える時期に来ているのかもしれない。
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