ロックな老人になるために――祖父母世代のエピソードを楽曲へ昇華する暴走Rの野望
ロックな老人になるために――
祖父母世代のエピソードを楽曲へ昇華する暴走Rの野望
L→R
Tiny(Vo/Gt)
Yuuki(Ba)
Tomomi(Dr)
Hiro(Key/Gt)
ネットワークの発達とグローバル化により、海に囲まれたこの島国・日本も、少しずつ海外という場所が身近になってきた。1990年代には当たり前のように存在していた「海外進出は日本で売れた後にするもの」という価値観は、もはや化石化している。海外が身近な人生を送ってきたメンバー4人で結成されたバンド・暴走Rは、まさにその時流によって生まれたと言っても過言ではない。海外を視野に入れた発信や、祖父母の世代から語られた実話を歌にして届けるというコンセプト、隅々にまでポリシーが貫かれたアートワークなど、一つひとつがクリエイティヴだ。そんなバンドの全貌を探るべくインタヴューを敢行。バンドや楽曲の背景を探ることで、いまの4人の野望が浮かび上がってきた。
取材・文 沖 さやこ
撮影 表 萌々花
暴走R(ぼうそう・あーる)
「1曲1人生」をコンセプトに、祖父母の世代から語られた実話を歌にして届ける日本のバンド。2019年東京にて結成。2020年2月に1stシングル【詐欺師】を配信リリースし、インドで開催された「ODISHA JAPAN FESTIVAL 2020」に出演。同年3月に2ndシングル【Deep River】、5月に3rdシングル【tewokazase】をリリース。海外リスナーも多く、アートワークやMVにも定評がある。
(Twitter/Facebook/Instagram/YouTube Channel)
◆おのおの別のバックグラウンドから海外につながりがある
――暴走Rというバンド名が「暴走老人」という言葉に由来すると知ったときは衝撃で。
Yuuki(Ba) じつはそうなんです(笑)。バンド名が生まれるきっかけになったのは、Tinyが2018年の「飛騨高山ジャズフェスティバル」(※2018年5月26日に開催)を観たこだま和文さんのライヴなんです。
――日本初のダブバンドと言われる、MUTE BEATのトランペット奏者の方ですね(※1990年に解散)。
Yuuki こだまさんはトリで、出演予定時間は23時くらいだったんですけど、20分くらい押してしまって。飛騨高山の山奥の真夜中なので、すっごく寒いんですよ。そんな環境でもこだまさんの演奏は本当に素晴らしくて――わたしたちは寒さと眠気と戦いながらその演奏を楽しむという(笑)。最後アンコールを5曲フル演奏して、「じゃあ僕はこのまま帰るんで」と言い残して演奏音が鳴りやまないままにステージを去っていって。その姿が最高にロックでかっこよかったんですよね。その帰りの車のなかでTinyさんと「あの演奏しびれたね」「わたしたちもバンドやりたくない?」「じゃあバンド名どうする?」という話になって、そこで「暴走老人」というワードが出てきたんです。そこからもっとリスペクトがわかりやすく示せる名前にしたくて「暴走R」になりました。
――こだまさんの強いパフォーマンスが一夜にしてバンド結成の引き金を引いたと。相当強烈だったんですね。
Yuuki ほんっとかっこよかったんですよ。わたしは暴走Rを始めるまでベースに触れたことがなかったんですけど、バンドをやるしかないと思いました。
――えっ! ではおふたりは楽器仲間や音楽友達というわけではなかったんですか?
Yuuki お互い同じ時期にロサンゼルスに住んでいて、共通の知人を通じて仲良くなって。友達の輪のなかにいたふたりって感じだったんです。
Tiny(Vo/Gt) わたしも高校時代にバンドしたり、ロスに住んでるときに友達とカヴァーバンドをしたり、おじさんとブルースロックをジャムセッションして遊んだりしてたけど、オリジナル曲を演奏するバンドは暴走Rが初めてなんです。Tomoちゃん(Tomomi)との出会いもロスに住んでいるときで、つながったきっかけはお仕事だったんですよ。
Tomomi(Dr) Tinyさんは取引先の方でした。でも初対面の自己紹介で「はじめまして。Tiny Mermaidです」と言われて、「あ、この人だいぶ変わってるな」とは思ってましたね(笑)。面白いお姉さんだったので仕事がひと段落したタイミングで、お友達的な付き合いに発展していきました。わたしも中学時代に吹奏楽部でパーカッションをしたり、大学でバンドをやったりはしていたんですけど、本格的なのは暴走Rが初めてで。
Tiny Tomoちゃんに声を掛けたらOKしてくれました。あとギターかキーボードがいてくれたらなと思っているときに、ライヴでHiroくんがキーボードを演奏しているところを見掛けて。いい演奏をする人だなと思って声を掛けました。
Yuuki 去年の2月のRUBY ROOM TOKYOでの企画ライブで初めてHiroくんがサポートしてくれて、音楽的な柱となるプレイをしてもらえて、本格的に一緒にやってもらえないかなとオファーしました。
Hiro(Key/Gt) 音楽というフィルターよりも先に、一緒にいると面白そうな気がして。曲も面白いし、アレンジし甲斐があるなと思いましたね。
――そうやって声を掛けたHiroさんも英語がご堪能なんですよね。
Tomomi 不思議と英語が話せるメンバーが集まりました。わたしはワーホリ、Tinyさんは現地で仕事をしていて、Yuukiちゃんはインターン、Hiroくんも周りに海外の友達が多くて――おのおの別のバックグラウンドから海外につながりがあって。それも影響してか海外の面白いフェスに出たり、国外でなにかをやりたい気持ちが強いんですよね。
――YouTubeやストリーミングサービスには海外からのアクセスも多いようですが、どういうアプローチをなさっているのでしょう?
Yuuki SNSでの発信は出来る限りバイリンガル表記にしています。YouTube上ではMVには英語字幕をつけて、【tewokazase】はTinyさんと一緒に楽曲を作ったフランス人の友達がフランス語字幕を作ってくれました。あとは将来的にライヴをしたい地域や、感覚的に「この国には暴走Rの曲が刺さるんじゃないか?」と思う国に向けてYouTube広告を出していますね。南米の方々からのリアクションがすごく熱くて、「カヴァーしたいからコード譜を作ってくれ」という連絡をいただいたり。
Voh Soh R “SAGISHI” / 暴走R「詐欺師 」(1st single)
Tiny メキシコの人から「いまの時代に必要な曲だ」と熱いメッセージを寄せていただいたり、暴走Rの写真をSNSのカヴァー写真に使っているフィリピンの人もいたり(笑)。
Yuuki Apple Musicでは毎日聴いてくれてるドバイの方がいらっしゃったり、Spotifyでは一時期台北でいちばん再生されてたり――世界各地でいろんな楽しみ方をしていただいてるなと感じますね。
Tomomi やっぱり演者側から届けるアクションを起こすことも大事だと思うんです。日本や海外という概念に縛られず、同じ価値観を共有できる人にもっともっと聴いていただきたいと思っていますね。
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バンドのコンセプトである「1曲1人生」に至る経緯は
Tinyの一風変わった趣味からだった