まだまだ諦めたくない、叶えたい――人生を歌い続けるQaijff 森 彩乃が燃やす音楽への情熱
まだまだ諦めたくない、叶えたい
人生を歌い続けるQaijff 森 彩乃が燃やす音楽への情熱
Qaijffにインタビューするのは2016年11月以来、実に8年以上ぶりだった。だがそんなにも長い時間が経っていたとは思えなかった。その理由は、この8年間常にQaijffが目まぐるしく変わる環境のなかでも懸命に音楽活動と向き合い続けていることが、SNSなどからも強烈に感じられたからだ。メジャーデビュー、ドラマーの無期限活動休止による2人編成での活動、事務所とレーベルからの独立、セルフで実現させたフルオーケストラライブ、1年半にわたり音楽活動と並行して行われた森 彩乃(Vo/Pf/Syn)の乳がんの治療――強い信念とパワーがなければ乗り越えられないものばかりだ。なぜQaijffにはこれほどまでのモチベーションが生まれ続けていたのだろうか。森 彩乃へソロインタビューを行い、その背景を探った。
取材・文 沖 さやこ
写真 Reiji Shioya
◆Qaijff(くあいふ)
森 彩乃(Vo/Pf/Syn)と内田旭彦 (Ba/Cho/Syn)によるバンド。2012年に愛知県にて結成。音楽大学ピアノ科卒の森の手腕を活かしたピアノサウンドを軸に多様なジャンルを取り入れた楽曲が注目を集め、2016年からJリーグチーム・名古屋グランパスのオフィシャルサポートソングを担当する。2017年にメジャーデビューして以降、TVアニメ『いぬやしき』『真・中華一番!』、NHK情報番組『さらさらサラダ』など、様々なTV番組のテーマソングを手掛ける。2021年に事務所とレーベルから独立し、同時に三輪幸宏(Dr)が群発頭痛により無期限活動休止に入り、森と内田の2人編成での活動がスタート。同年12月には斎藤ネコが指揮者を、メンバーがアレンジを担当した約50人編成のオーケストラコンサートを開催する。2023年春に森のステージ2の乳がんが発覚し、音楽活動と並行し治療を行う。2024年にライブ活動を本格復帰させ、夏のワンマンツアー「誇れ-2024-」は全日程ソールドアウトを記録した。同年冬に約5年ぶりのフルアルバム『YOKU』を、2025年2月に名古屋グランパス2025シーズンオフィシャルサポートソング「掴まえろ頂点を」をリリース。CM音楽、他アーティストへの楽曲提供、TV・ドラマ・舞台音楽など、幅広く音楽活動を行っている。
◆病気でやりたいことを奪われるのは本当に嫌だった
――森さんは2023年3月に乳がんが発覚し、その1年半後の2024年10月に治療が終了しました。現在お身体の調子はいかがですか?
森 彩乃(Vo/Pf/Syn) ライブもできますし、日常生活に支障もないし、この通り元気です。ただ手術や抗がん剤治療の影響は残ってはいて、手足に少ししびれが残っていたり、手術をした右脇が突っ張ったり、鈍い感覚があったり。あとはホットフラッシュや身体のだるさに波がある……という感じではあるんですけど、うまく付き合いながら普通に過ごせていますね。
――思い返せば、ここ数年のQaijffは激動でしたよね。
森 そうですね。2020年にコロナ禍に入って、ドラムの三輪幸宏が群発頭痛の影響でその年の6月からお休みに入って。でも回復の目処が立たず、三輪は2021年3月をもって無期限活動休止をすることになって。
――Qaijffはそのタイミングで事務所とレーベルから独立しました。
森 メジャーはバンドに関わる人が増え、自分たちの意思を押し殺さなくてはならない場面も多く、息苦しくなってしまって、音楽を嫌いになりかけていたんです。自分の心を守るため、バンドを続けるために環境を変えたくて独立を選択しました。内田(内田旭彦)と2人体制になるので機材を増やしてみたり、サポートミュージシャンを招いたり、オーケストラライブにチャレンジしたり、独立直後は試行錯誤の日々で。自分たちでやらないといけないことは増えたので大変さはものすごくあるけれど、それ以上にバンドを始めた頃のような楽しみやわくわく感、1個1個の喜びは大きいんですよね。そうやってあらためて地盤を固めるなかでコロナによる制限も緩和されて、活動をもっと広げようというタイミングで乳がんがわかって。
――がん治療と音楽活動を並行させることは、とても大きな決断だったと思います。
森 自分でやりたくて選んでいることなんですよね。病気を抱えながら音楽をやるのは苦しいかもしれないし、治療中の自分がどうなるのかは未知だったけれど、病気でやりたいことを奪われるのは本当に嫌だったんです。続け方は変わるかもしれないけど、活動は止めないとすぐ決めて、内田もすぐに「やれることをやろう」と言ってくれました。あと、独立していたのも続けられた要因だったとも思っていて。どこかに所属をしていると自分たちの都合だけでは動けないですし、独立をきっかけに自分たちの家にスタジオを作ったので、音楽制作も自由なペースでやれる環境は整っていたんです。
――独立してからの2年間でセルフで動く地盤が固められていたからこそ、がん治療と音楽活動を並行させられたんですね。
森 そうですね。音楽活動を休んで治療に向き合ったほうが身体に負担は掛からないかもしれないけど、多分心がきつかったと思うんです。自分たちでペースを考えながら音楽を続けることができました。
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約5年ぶりのフルアルバム『YOKU』に込めた思い「生きている限り、すべての行動は己の欲に突き動かされている」