『三十万人』から『全員優勝』へ――ヒグチアイの1年間の成長と変化の軌跡
「いままでのものには頼らない」という気持ちで作ったアルバム
――『全員優勝』は様々なアプローチに挑戦しているアルバムになりました。
これまでもマシータ(ex.BEAT CRUSADERS/Dr)さんとふたりでやってみたり、ギターを入れてみたり、4人でやってみたりしていたんですけど、自分のなかで「これはできそうだな」と思うことだけをしていて、「これはできなさそう」と思うものには手を出さなくて、勝手に可能性を決めつけちゃってたんです。でも実際やるなら、ある程度のところまでは自分で持っていこうと思うし。……20代前半はすごく頑固で、凝り固まっていたので(笑)、「こういうのどう?」と言われても「いや、わたしには似合わないと思います、できないと思います」と答えていたんです。『三十万人』は全部を出し切ったので「この先どうしよう?」とも思って。でも「いままでのものには頼らない」という気持ちを持って、『全員優勝』を作りました。だからこれから、いろんな挑戦をしていきたいと思いますね。
――『三十万人』は自分の世界をしっかり守った内向きな作品ですが、『全員優勝』は開けてますものね。
そうですね。『三十万人』のようなアルバムが好きな人も多いと思うので、出すまでは「大丈夫かな? みんな好きでいてくれるかな……?」と思ってたんですけど(笑)、好評みたいで良かったです。これからもうちょっといろんな人に聴いてもらうためには、音楽の幅を広げたほうがいいかなと思って。それは自分ではどうにもならないことなので、人に頼る。今回はその人たちに無理矢理こじ開けてもらったところもあるので、そういうことを今後もできたらいいと思いますね。例えば、今回のエレクトロニックな部分は、作ってもらったものに自分が重ねていったんです。
――それはM7【ペーパームーン】ですか?
はい。あと【朝に夢を託した】(M2)もそうですね。エレクトロニックな音に合う歌声は、わたしの歌声よりももうちょっと薄いものだと思うし、表現と言うよりはまっすぐに音階が出た声のほうがそういうものには乗るんじゃないかなと思っていたんです。でも昔からすごく興味があったので、(エレクトロのトラックを作った)LASTorderと話していたら「面白いと思うよ」と言ってくれて、やってみたら面白いものになって。だから、いろんな人の想像力はすごいなと思って。それは自分のなかには絶対にないものだからびっくりしたし、新しい自分を見つけられました。
全員何かで優勝できるものを持っている
――“全員優勝”というタイトルにはどういう意味が込められているのでしょうか?
前作は『三十万人』という漢字4文字だったので、今回は3文字にして、次は2文字にしようかな……と思ったんですけど「それだと4枚で終わっちゃう!」と思って、また漢字4文字にしました(笑)。去年の12月31日にワンマンライヴで、勝手に「ギネスに挑戦」というのをやっていたんです。それでギネスについて調べていたら……しょうもない、と言うと失礼なんですけど(笑)、「こんな記録を残すんだ!」と思うものがいっぱいあって。そのなかでいちばんできそうな「1分間のうちに56本鉛筆を立てる」というのをやってみたら、12本しか立てられなくて(笑)。
――(笑)。
だから、ちょっとしたことでも、日常のなかでちょっと見つけたことでも、それで世界一になれるってすごいことだなと思ったんですよね。そういう可能性が人間ひとりひとりにあると思っていて。歌詞の内容は、悩んでいる人や悲しいことがあった人とか、そう言う人が主人公になっていることが多いので、そういう人でも全員何かで優勝できるものを持っている、という意味でつけました。……でも“全員優勝”という言葉だけじゃ、全然意味がわからないじゃないですか(笑)。全員が優勝するなんて、そんなに都合よくはいかないと思う人もいるだろうし。でも、そうやって考えてもらうことが重要だと思っていて。
――そうですね。
“全員”と“優勝”というわかりやすい言葉をふたつ並べたら、「どういうことだろう?」と思う言葉ができて。いろんな人にいろんなものを考えてもらいたい、そういう気持ちはありました。
――『三十万人』はご自分の気持ちを吐き出すようなアルバムでしたが、『全員優勝』はヴォーカルからソングライティングからすべて、相手がいて成り立つものだと思いました。なのでそういうところも“全員”という言葉につながる気がします。
すごい、そうなんです。そう言ってもらえてうれしい。『三十万人』のリリースは2014年ですけど、作ったのはそれより2年前の曲が多いんです。そのときは「自分のことだから自分が責任を持たなきゃいけない」という気持ちがすごくあって、人に何かを言うことや、「一緒にがんばろう」と言うことも、そんなこと一切言えないし、思わなかったんです。とにかく自分に対して。自分を責めたり、自分のだめなところ、こうすれば自分でもがんばれそう、ということで完結してたので……『三十万人』はそういう曲ばかりになってますね。……でも昔、好きだった人とけんかしたときに、「俺が全部悪い」と言われて、「それって逃げだよね、逆に相手のことを想ってないよね?」とものすごく腹が立って。
――ああ、そうですね。
だから、自分に自信がないから、自分で責任を持てる範囲の、自分のことを書く――それがすごく寂しいことだと思ったんです。そこから書き方が変わったりしましたね。だから『全員優勝』でやっと、いろんな人のせいにできるようになったかな(笑)。人を信用することもできないような人間だったので、とにかく裏切られないように自分のなかにいて、そこから手を伸ばすような感じだったんです。けどそういうことをしていても、結局裏切られるものには裏切られるし。それならもっと人に頼って、だめだったときはもう1回やったらいいなと思って。
――その頼れる相手も、今回はmeis clausonさん、LASTorderさんという新進気鋭のサウンドクリエイターさんという、フィールドの違うかたがたですから、尚更面白いものになりましたね。
わたしみたいな保守的な人間よりもちょっとだけ広い人がいて、そういう人がいろんな人を連れてきてくれて。(meis clausonやLASTorderとの制作も)「大丈夫かな?」とは思ったけど「絶対やりたい!」と思って。本当に普段なら出会わない人と出会うことができて、本当に楽しかったです。自分だけでやって歌うよりも、あるものに歌を乗せるのはめっちゃ楽しい。でも、誰かと何かをやるとき、相手にはやりたくないことをやってもらいたくはないんです。相手が少しでも楽しいと思ってくれるポイントを拾ってほしいし、楽しんでやってもらえたら、その人のいいところを全部出してもらえたらいいなと思ってて。……それでもきっと、かなり考えて作ってくれたんでしょうけど、どの曲にもめちゃくちゃ「その人らしさ」が出ていると思っていて……「おっ、けんか売ってきたな!」と思って(笑)。それがうれしかったですね。