就職できなかったフリーランスライターの日常(17)
就職できなかったフリーランスライターの日常(17)
アルバイトの恩恵と辞め時
2016年10月、アルバイトを辞めた。というわけで今月は専業ライター3周年記念月間である。就職できなかったため会社員経験はないが、アルバイト経験はそこそこあるし、わたしが高校生の頃、母親が伊豆高原でペンション経営を始めたため(※2012年2月に閉館。現在は神奈川県小田原市にて犬と入店可能な飲食店を経営している)、一連の業務を行うことはもちろんそれなりに経営戦略などにも頭をひねったものだ。
コラムの第2回目でも書いたとおり大学を諦めたわたしはペンション業務のかたわら家庭教師をするようになった。そのなかで専門学校入学のための資金を貯め、親の援助も受けながら2007年に音楽系専門学校へ入学。伊豆高原から西新宿まで新幹線を使って通学し、ペンション業務と家庭教師を続けた。2009年は音楽媒体への就職が決まるかもしれないという期待のもと、家庭教師のアルバイトを専門学校を卒業する3月で終わらせることにした。
だが就職が叶わないまま4月を迎えた(※2009年の詳細はコラムの第6回目と8回目にて)。春休みシーズンも終わりペンションも暇になり、編集部のインターンも家庭教師も終わり、学校も卒業してしまったわたしは、はたから見れば完全なる無職、完膚なきまでにニート、まごうことなき職無しである。同い年の連中はみんな社会人2、3年目やら院生やらで、風を切って街を歩いている。人の目を気にしがちのわたし、愕然。
そんなときに駅前のドトールが閉店し、2週間後に新しいセルフサービスカフェができるので新規スタッフを募集するという張り紙が店舗前に貼ってあった。「学校も卒業したし、朝がヒマになるな。ペンションの朝食は平日ならわたしがいなくてもなんとか回そうと思えば回せるし、午後にペンションの仕事や就職活動をするのもアリかも」と考え、ひとまずその求人の貼り紙を写メった。
ゴールデンウィーク明け。ペンションの仕事をごりごりしながらも、世間の認識的には順調に家事手伝い街道をひた走っていたわたしは、そのカフェにまだ求人を募集しているのか問い合わせた。するとまだスタッフを募集しているということで面接に行き、その翌日採用が決定した。
カフェのアルバイトを決めてから1、2ヶ月後、音楽ライターアシスタントとしての仕事が始まった。駅ナカのカフェだったため、バイト上がりからそのまま都内に行くことができた。バイト先は東京に本社を置く会社が経営していたこと、わたしと同世代の20代半ばの社員さんや二十歳前後のバイトの子が多かったのもあり、わたしの動き方への理解度も高く、非常にありがたかった。2010年にライターデビューを果たしてからは、よりその恩恵にあずかっていた。
ペンション業務と家庭教師、カフェのアルバイトは、自分にとってかなり大きな経験になっている。人の目を見て話せるようになったし、「相手がなにを求めているのか瞬時に判断する」という観察眼を身に着けたのも接客業のおかげだ。「相手の求めていることを読み取り忖度しすぎてしまい、突っ込めないところが弱点だ」と言われたこともあり、自分はこの仕事に向いていないのかとだいぶ落ち込んだこともあるが、そんな人間だから書けることもあるはずだと信じて続けてきた。「かしこまりました」「恐れ入ります」という言葉を流暢に使えるようになったことは人生においてだいぶ得だ。
――と、ここまでならフツーの「アルバイトには意味があるぜ」や「生活は自分自身の人格に影響を及ぼすぜ」的ないい話。だがこんな激シャバな内容では終わらせられないのが、無名で貧乏の夢追い人の副業事情のリアルである。2012年3月に神奈川県小田原市に引っ越してから2016年10月にバイトを辞めるまでの4年半が、なかなかの暗黒期だったのだ。デデーン。