まだまだ諦めたくない、叶えたい――人生を歌い続けるQaijff 森 彩乃が燃やす音楽への情熱
◆自分で選んで決めたことなら、その結果がちょっとつらかったとしても納得ができる
――実際に音楽活動と治療を並行させてみて、いかがでしたか?
森 音楽をやっていて病気のことを忘れられる日もあれば、もちろんしんどい日もありました。そういうときはすごく弱気になっちゃって、やっぱり潔く休むべきだったのかなと思うこともあって……。「見ていて痛々しい」「休めばいいのに」とネガティブな意味合いでSNSで書かれたこともあったり、ファンの皆さんに活動は止めないと言ったものの、やっぱりライブは決められないし、思わせぶりな待たせ方をしちゃってるかもしれないな……と不安になったりもして。すごくネガティブになったりポジティブになったり、波が激しかったです。でも結果的には休止をしなくてよかったと思っていて。
――昨年12月にリリースした『YOKU』も、治療中に制作やレコーディングをなさったんですよね。
森 そうです。治療真っ只中で、抗がん剤で髪も全部抜けて、「しんどいけどなんとか今日ならいけそう」というときに歌のレコーディングをしたり、手の痺れが比較的マシなときにピアノのレコーディングをしたり。だから『YOKU』は治療中の自分をパッケージできたんですよね。聴くと「あのときのわたしが頑張って歌ってるなあ」と感じるし、それが残せたことは自分にとっても良かったなって。
――そんな作品のタイトル『YOKU』には、「生きている限り、すべての行動は己の欲に突き動かされている」という意味が込められている。
森 前々からぼんやりと思っていたことだけど、病気をきっかけに強くそれを思ったんですよね。わたしは「それでも音楽をやりたい」と思ったけれど、音楽を辞める選択も間違いじゃない。「やりたい」も「もうやめたい」も欲だし、すべての選択は欲から来るものだと思うんですよね。治療も音楽もやりたいという欲を自分で選んだからこそ、あの時期を乗り越えられたところもある気がしていて。
――確かに人に決められた選択だと、後悔が出てくるかもしれません。
森 誰かの意見に我慢して従って、いい結果が出ることもあるかもしれないけど、いわゆる“失敗”をしてしまったら、その人のせいにしちゃいそうになるとも思うんです。自分で選んで決めたことなら、その結果がちょっとつらかったとしても納得ができますよね。諦めるという選択は勇気が必要だし、人生はどこかで何かを諦めなきゃいけないことがあるかもしれない。これを諦めた方が逆に幸せなのかもしれない?……と悩んで考えることもあったけど、2025年になっていろいろと絶対に諦めたくない!とメラメラしてますね。
――『YOKU』のリリースツアー「Qaijff new album release one-man tour “YOKU”」にもそのマインドが溢れていましたよね。絶対に手放したくないものは絶対に守りきるんだというパワーを感じました。
森 やっぱり『YOKU』をリリースして、ここ数年Qaijffに渦巻いていたことが1回浄化されたような感覚があるんですよね。またここからあらためて進んでいける!という活力になっていると思います。だからまったく予定になかった三重公演(※2025年2月21日に四日市CLUB CHAOSにて開催。インタビューは開催前に実施)も急遽追加しちゃいました(笑)。
――もともと予定されていた東名阪公演はいかがでしたか?
森 初日の名古屋で組んだセットリストが自分たち的にすごく良くて、今回は3公演とも同じセットリストで回ったんですよね。これは本当に感覚的なもので、その良さを言語化できないんですけど、ライブで作る作品として最高だと感じられたし、これがベストだと思えている体感のまま東京も大阪も回りたかったんです。とはいえセットリストが同じでもライブは全然違うものになるので、そういう意味でも楽しかったです。
――2024年12月に開催された名古屋公演では森さんが涙したと、CBCテレビの密着取材(※外部リンク)で拝見しました。
森 実はこのライブの1ヶ月前に、母が子宮体がんを患っていることがわかって。
――えっ、そうだったんですか。
森 わたしの治療が終わった1ヶ月後に発覚して、あまりにショックすぎて。そのときに「わたしに病気が発覚したとき母はこんな気持ちだったんだ」と身をもって知ったんです。母はQaijffのことが大好きで、いつも自分で日本全国のチケットを取って客席に混ざって盛り上がるような人で。ツアー初日の名古屋公演の数日後に手術を控えていたので、どうなるかな……と思っていたところ、椅子を用意すれば大丈夫ということになって。
――お母様、名古屋公演ご覧になれたんですね。良かった。
森 もちろん来てくださっている皆さんに向けてライブをしているし、自分たちのためにというのもあるけれど、あの日は「おかんのために歌おう」と思っていたところもあって。涙を流してしまった「あのひ」という曲は家族がテーマなので、母の病気が発覚してからツアーで歌いきれるか本当に心配だったんです。その結果泣いてしまったものの、ちゃんと最後まで歌えました。母はわたしよりよっぽど精神力が強いんです。だからわたしも前向きでいなくちゃと。
――その後も同じセットリストでやろうと思われたのは、名古屋公演でそれだけ気持ちが乗せられたからというのも大きそうですね。
森 そうかもしれないですね、うん。やっぱりわたしは、病気になる前もなってからもずっと“人生”を歌っているし、これからもそれを歌っていたいんです。しかも人生の選択には正解がなくて、年齢も性別も関係なく、みんなその都度葛藤やつらい出来事があったとしても、同時に楽しいことや夢中になれることだってあって、波があって。Qaijffの曲を通して自分の人生を感じてもらえたらいいなと思うんです。
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名古屋グランパス2025シーズンオフィシャルサポートソング「掴まえろ頂点を」には、さらなる高みを目指す姿が刻まれる。Qaijffが追い求めるチャレンジとは