リリックは懺悔箱――DETOX・知弥が綴る「主人公ではない人間」の心の叫び
◆このゲームがどんなにクソゲーでも、1回最後までやってみない? 大ドンデン返しあるかもよ?
――DETOXの温度感は絶妙なんですよね。リリックも懺悔箱だけど吐瀉物ではない。思想は強いけどそれを押し付けるでもない。ラフだけど美学はしっかり持っているし、どんよりしてるけどぼんやりと明かりも見える。
そうっすね。やっぱ、なんで今俺が生きてるかっていうと、昨日幸せだからなんですよね。みんな昨日の出来事が死ぬまでに値しなかったから、今生きてるんだと思うんです。「こんな失敗してきたけど、俺今生きてるから大丈夫だよ」って注意喚起みたいなもんだと思います。俺は正しいわけじゃない。でも俺の正義に乗っかってくるやつらは、たぶんいると思う。……ちょっと前に『キングダム』観てて思ったんですけど、俺、主人公じゃないんですよ(笑)。対戦の後ろのほうでやられてるやつ。そんくらいモブなんです(笑)。でもどんなにモブでも、そいつにはそいつのドラマがあるし。
――うん、そうですね。
『生存者』2作品を出した頃は、「いちばん売れないのはいやだ」とか「このなかでいちばん売りたい」とか、周りのバンドと背比べしながら活動してた感じがするんです。でも最近、そういうのもなくなっちゃったっすね。俺はこっちのほうがいいかなー……って。やっぱ誰かを傷つけるようなことをするのはだめっすね(笑)。でも些細なことで友達とかをどうやら傷つけてるっぽいんですよ。最近知ったんですけど(笑)。
――(笑)。
友達、家族、先輩後輩、バンド仲間、彼女を傷つけるのはいやじゃないですか。それでも傷つけちゃうことはあるかもしれない。でも、心の奥に抱えているところに俺が触れちゃって傷つけたとしたら、それは「ひとりで抱えてないで俺に言え」って話で(笑)。
――ははは。知弥さんなりの優しさですね。
命を絶ってしまう人がそれだけ大きいものを抱え込んでしまってるのは知っているから、そういう話を聞くたびに「俺が友達だったら絶対死なせないのに」って不甲斐なくなるんですよ。誰かを助けられると思う。俺と1日一緒に遊べば大丈夫。そういう謎の絶対的自信はあるんです。まじで絶望的な状況でも、俺の友達生きてますからね(笑)。「このゲームがどんなにクソゲーでも、1回最後までやってみない? 大ドンデン返しあるかもよ?」って感じ。俺が生きることをリリックにするのは母ちゃんが死んでるのも影響してると思うけど、生死を考えることは人間として普通のことな気がする。いつ自分の寿命が来るかわかんないから、作品はどんどん残したいんです。みんなももっと残しちゃえよ!って思います(笑)。
――その心は?
ファンタジーみたいな話なんですけど、よくMade in Me.の彦とかと「1000年後とか文明が枯れたあとに俺らの音源が残ってたらいいね」「1000年後の人間が聴いてくれたらうれしいよね」って話すんです(笑)。作品を残すのにはそういうロマンもあるっすね。……『生存者』2作には若さならではの闘争心がギリ残ってるけど、今はそれより、知らないどっかの山奥に住んでいる家族が、寝る前に聴いている1枚になれたらうれしいっすね。
>> 次頁:DETOXを突き動かしたのは地元の仲間たちが集った音楽の場。回り出した歯車が手繰り寄せる未来とは